夕顔(19首)ゆうがお

心あてに それかとぞ見る 白露の 光そへたる 夕顔の花
夕顔 ⇒ 光源氏<もしくは頭中将>(贈歌)
【現代語訳】
当て推量にあなたではないかと思います。白露の光を添えて美しい夕顔の花は。
※「光りそへたる」は光源氏を暗示する。花は女性の暗喩であることから、「夕顔の花」で夕顔自身が名乗っていると見る説もある。相手が元恋人の頭中将だと勘違いして詠んだ歌という解釈もある。

寄りてこそ それかとも見め たそかれに ほのぼの見つる 花の夕顔
光源氏 ⇒ 夕顔 (返歌)
【現代語訳】
もっと近寄って、誰なのかはっきり見てはいかがでしょう。黄昏時にぼんやりと見えた花の夕顔を。

咲く花に 移るてふ名は つつめども 折らで過ぎ憂き 今朝の朝顔
光源氏 ⇒ 中将の君<六条御息所の女房>(贈歌)
【現代語訳】
咲いている花に心を移したという噂には気がねしますが、手折らずに素通りできないくらい美しい今朝の朝顔の花です。
※主人の六条御息所から女房の中将の君に「心を移す」のは遠慮される。「咲く花」「朝顔」は中将の君のこと。
社交辞令的な恋の歌。

朝霧の 晴れ間も待たぬ 気色にて 花に心を 止めぬとぞ見る
中将の君 ⇒ 光源氏 (返歌)
【現代語訳】
朝霧が晴れるまで待たずにお帰りになるご様子なので、朝顔の花(六条御息所)に心を止めていないと思われます。
※源氏が詠んだ和歌の「咲く花」「朝顔」を自分ではなく主人・六条御息所のことにすり替えている。

優婆塞が 行ふ道を しるべにて 来む世も深き 契り違ふな
光源氏 ⇒ 夕顔 (贈歌)
【現代語訳】
優婆塞が勤行しているのを道しるべにして、来世の深い約束に背かないでください。
※優婆塞は在俗のまま仏道の修行をする人。源氏が夕顔に深い愛を誓った歌。

前の世の 契り知らるる 身の憂さに 行く末かねて 頼みがたさ
夕顔 ⇒ 光源氏 (返歌)
【現代語訳】
前世の宿縁の薄さがこの身に悲しく感じられるので来世までは信頼できません。

いにしへも かくやは人の 惑ひけむ 我がまだ知らぬ しののめの道
光源氏 ⇒ 夕顔 (贈歌)
【現代語訳】
昔の人もこのように恋の道に迷いこんだだろうか。私が今まで経験したことのない明け方の道だ。

山の端の 心も知らで 行く月は うはの空にて 影や絶えなむ
夕顔 ⇒ 光源氏 (返歌)
【現代語訳】
山の端の心も知らないで付き従っていく月は光が消えてしまうのではないでしょうか。
※「山の端の心」は光源氏、「月」は夕顔を暗示している。光源氏に従っていく私はどうなってしまうのか
不安に思う気持ちを詠んでいる。

夕露に 紐とく花は 玉鉾の たよりに見えし 縁にこそありけれ
光源氏 ⇒ 夕顔 (贈歌)
【現代語訳】
夕方の露を待って花開いて顔をあなたに見せるのは、五条大路の道で出逢った縁からなのですよ。
※「紐とく」は男女の契りを交わす意とも、顔を見せる意とも捉えられる。「玉鉾の」は「道」の枕詞だが、ここでは「道」の意味で使われている。

光ありと 見し夕顔の うは露は たそかれ時の そら目なりけり
夕顔 ⇒ 光源氏(返歌)
【現代語訳】
光り輝いていると思った夕顔の上露は、夕暮れ時の見間違いでした。
※「夕顔のうは露」は光源氏の顔のこと。源氏を美しいと思ったけれど、黄昏の見間違いであり、さほど美しくないですねと冗談を言っている。

見し人の 煙を雲と 眺むれば 夕べの空も むつましきかな
光源氏(独詠歌)
【現代語訳】
愛した人の火葬の煙が雲となってなびいているのを眺めると、この夕方の空も親しく感じられることよ。
※夕顔の死を悼む歌。

問はぬをも などかと問はで ほどふるに いかばかりかは 思ひ乱るる
空蝉 ⇒ 光源氏 (贈歌)
【現代語訳】
お見舞いもしないことを、何故かとお尋ね下さらずに月日が経ち、私もたいへん思い乱れています。
※夕顔の死のショックで病気になった光源氏を案ずる和歌。

空蝉の 世は憂きものと 知りにしを また言の葉に かかる命よ
光源氏 ⇒ 空蝉 (返歌)
【現代語訳】
あなたとの関係はつらいものと知ってしまったのに、あなたの言葉に望みをかけて、この命を生きていこうと思います。

ほのかにも 軒端の荻を 結ばずは 露のかことを 何にかけまし
光源氏 ⇒ 軒端の荻 (贈歌)
【現代語訳】
一夜の関係であろうと、軒端の荻を結ぶ逢瀬を遂げなかったら、少しの恨み言を言う理由もなかったでしょう。
※「軒端の荻を結ぶ」は男女の契りを暗喩している。

ほのめかす 風につけても 下荻の 半ばは霜に むすぼほれつつ
軒端の荻 ⇒ 光源氏 (返歌)
【現代語訳】
ほのめかされる手紙を見るにつけても、下荻のような身分の低い私は、嬉しい反面、思い悩んでいます。

泣く泣くも 今日は我が結ふ 下紐を いづれの世にか とけて見るべき
光源氏(独詠歌)
【現代語訳】
泣きながら今日は私が結ぶ袴の下紐をいつの世にかまた夕顔と再会して、心打ち解けて下紐を解いて契ることができるだろうか。
※「とけて」には「下紐をとく」(男女の契りをかわす)と「心を打ちとける」の2つの意味がかかっている。
夕顔の死を悼む歌。

逢ふまでの 形見ばかりと 見しほどに ひたすら袖の 朽ちにけるかな
光源氏 ⇒ 空蝉(贈歌)
【現代語訳】
再会する日までの形見の品と思っていましたが、すっかり袖が涙で朽ちるまでになってしまいました。
※地方に下る空蝉に対して、形見の小袿を返却した際の和歌。

蝉の羽も たちかへてける 夏衣 かへすを見ても ねは泣かれけり
空蝉 ⇒ 光源氏(返歌)
【現代語訳】
蝉の羽の衣替えが終わった後の夏衣は返却してもらっても、涙があふれてくるばかりです。

過ぎにしも 今日別るるも 二道に 行く方知らぬ 秋の暮かな
光源氏(独詠歌)
【現代語訳】
亡くなった人も今日別れて去っていく人も、それぞれの道へどこへ行くのか知れない秋の暮れであることよ。
※「過ぎにしも」は亡くなった夕顔、「今日別るるも」は伊予国に下る空蝉を指す。

若紫(25首)わかむらさき

生ひ立たむ ありかも知らぬ 若草を おくらす露ぞ 消えむそらなき尼君 ⇒ 女房 (贈歌)
【現代語訳】
今後どこでどう育って行くのかも分からない若草のような少女を残して消えてゆく露のように、儚い私は死ぬに死ねないのです。
※若草は少女、露は尼君を指す。露には短い寿命というイメージがある。

初草の 生ひ行く末も 知らぬまに いかでか露の 消えむとすらむ
女房 ⇒ 尼君 (返歌)
【現代語訳】
初草のように幼い姫君のご成長も見ないうちに、どうして尼君様は先立たれることをお考えになるのでしょう。

初草の 若葉の上を 見つるより 旅寝の袖も 露ぞ乾かぬ
光源氏 ⇒ 尼君 (贈歌)
【現代語訳】
初草のようにうら若い少女を見てからは、私の旅寝の袖は恋の涙で濡れてまったく乾きません。
※「初草の若葉」は若紫(のちの紫の上)を指す。

枕結ふ 今宵ばかりの 露けさを 深山の苔に 比べざらなむ
尼君 ⇒ 光源氏 (返歌)
【現代語訳】
今夜だけの旅の宿の寂しさで涙に濡れているからといて、深山の苔のような私たちのわびしさと比べないでください。

吹きまよふ 深山おろしに 夢さめて 涙もよほす 滝の音かな
光源氏 ⇒ 僧都 (贈歌)
【現代語訳】
山おろしの風に乗って聞こえてくる懺法の声に煩悩から覚めて、涙を催させる滝の音であることよ。
※明け方の僧都の懺法の声を聞いて、若紫への執着が浄化される気持ちを詠んだ歌。

さしぐみに 袖ぬらしける 山水に 澄める心は 騒ぎやはする
僧都 ⇒ 光源氏 (返歌)
【現代語訳】
不意に訪問されてお袖を濡らされたという山の水に心を澄まして住んでいるわたしは驚きません。
※「さしぐみ」は「突然」の意と涙が「さし汲み」をかけている。「すめる」は「澄める」と「住める」をかけている。

宮人に 行きて語らむ 山桜 風よりさきに 来ても見るべく
光源氏(唱和歌)
【現代語訳】
宮中の人たちに帰って話しましょう。山桜の美しさを風で散ってしまう前に来て見るようにと。

優曇華の 花待ち得たる 心地して 深山桜に 目こそ移らね
僧都(唱和歌)
【現代語訳】
三千年に一度咲くという優曇華の花が咲く瞬間に立ち会ったような気がして、深山桜には目も移りません。
※源氏は山桜ではなくて優曇華の花のように美しいですという挨拶の和歌。

奥山の 松のとぼそを まれに開けて まだ見ぬ花の 顔を見るかな
聖(唱和歌)
【現代語訳】
奥山の松の扉を珍しく開けると、まだ見たことのない花のように美しいお顔を拝見しました。
※源氏の美しさを賛美する挨拶の和歌。

夕まぐれ ほのかに花の 色を見て 今朝は霞の 立ちぞわづらふ
光源氏 ⇒ 尼君 (贈歌)
【現代語訳】
昨日の夕暮にわずかに美しい花を見ましたので、今朝は霞の空に立ち去りたくない気分です。
※「花の色」は若紫の比喩。

まことにや 花のあたりは 立ち憂きと 霞むる空の 気色をも見む
尼君 ⇒ 光源氏 (返歌)
【現代語訳】
本当に花のそばを立ち去りにくいのでしょうか。そのようにおっしゃる真意を確かめたいものです。
※「霞むる」には「掠むる」がかけられており、源氏が若紫を奪おうとする真意を確認したいという意味がこめられている。

面影は 身をも離れず 山桜 心の限り とめて来しかど
光源氏 ⇒ 若紫 (贈歌)
【現代語訳】
山桜のように美しいあなたの面影が私の身から離れません。心のすべてをそちらに留め置いて来たのです。
※光源氏から若紫にあてた恋の和歌。

嵐吹く 尾の上の桜 散らぬ間を 心とめける ほどのはかなさ
尼君 ⇒ 光源氏 (返歌)
【現代語訳】
嵐が吹いて散ってしまう峰の桜にその花が散る前にお心を寄せられたように、頼りなく感じられます。
※幼い若紫の代わりに祖母の尼君が詠んだ返歌。一時的な恋ではないかと疑っている。

あさか山 浅くも人を 思はぬに など山の井の かけ離るらむ
光源氏 ⇒ 尼君 (贈歌)
【現代語訳】
浅香山のように浅い気持ちで思っているわけではないのに、なぜ私から影が離れていらっしゃるのでしょうか。
※「かけ離る」は「影離る」とかけている。

汲み初めて くやしと聞きし 山の井の 浅きながらや 影を見るべき
尼君 ⇒ 光源氏 (返歌)
【現代語訳】
薄情な人と契りを結んで後悔したと聞きました。山の井のような浅いお心のまま孫を見せられましょうか。
※古今六帖の「くやしくぞ汲みそめてける浅ければ袖のみ濡るる山の井の水(悔しいなあ、汲み始めた後で、あなたの気持ちが浅いのを知り、体は濡れず、袖のみ涙で濡らす夜になるとは、水量の少ない山の井のように)」を下にひいた歌。

見てもまた 逢ふ夜まれなる 夢のうちに やがて紛るる 我が身ともがな
光源氏 ⇒ 藤壺 (贈歌)
【現代語訳】
お逢いしても、また再び逢うことの難しい夢のようなこの世なので、夢の中にそのまま紛れて消えてしまいたい我が身です。
※光源氏と藤壺、逢瀬後の恋の和歌

世語りに 人や伝へむ たぐひなく 憂き身を覚めぬ 夢になしても
藤壺 ⇒ 光源氏 (返歌)
【現代語訳】
世の中の語り草として人が伝えるのではないでしょうか。この上ないくらい辛い身を、覚めることのない夢の中のこととしても。

いはけなき 鶴の一声 聞きしより 葦間になづむ 舟ぞえならぬ
光源氏 ⇒ 若紫 (贈歌)
【現代語訳】
おさない鶴の一声を聞いてから、葦の間を行き悩む舟は何とも言えない思いをしています。
※「鶴の一声」は若紫の声、「舟」は源氏を指す。

手に摘みて いつしかも見む 紫の 根にかよひける 野辺の若草
光源氏(独詠歌)
【現代語訳】
手で摘んで早く見たいなあ、紫草に縁のある野辺の若草を。
※「紫」は「紫草」のことで藤壺の宮を指す。「根にかよふ」は若紫が藤壺の姪であることを言う。「若草」は若紫を指す。

あしわかの 浦にみるめは かたくとも こは立ちながら かへる波かは
光源氏 ⇒ 少納言 (贈歌)
【現代語訳】
姫君に会うことは難しいだろうが、和歌の浦の波のようにこのまま帰ることはできません。
※「わか」は「葦若」と「和歌の浦」をかけている。若紫を指す。「見る目」と「海松布」をかけている。「波」は源氏自身を指している。

寄る波の 心も知らで わかの浦に 玉藻なびかむ ほどぞ浮きたる
少納言 ⇒ 光源氏 (返歌)
【現代語訳】
和歌の浦に寄る波に浮かびなびく玉藻のように、相手の心をよく知りもせずに従うことは不安なことです。
※「寄る波」は源氏、「玉藻」は若紫を指す。

朝ぼらけ 霧立つ空の まよひにも 行き過ぎがたき 妹が門かな
光源氏 ⇒ 忍びて通ひたまふ所<女>(贈歌)
【現代語訳】
朝霧が立ちこめた空を見るにつけても、素通りしがたい貴女の家の門であることよ。
※「あなたの家の前は素通りしがたいから、ちょっと寄らせてください」という意味。

立ちとまり 霧のまがきの 過ぎうくは 草のとざしに さはりしもせじ
忍びて通ひたまふ所<女>⇒光源氏 (返歌)
【現代語訳】
霧の立ちこめた門の前を通り過ぎがたいと言うならば、草が生い茂り門を閉ざしたことぐらい何の障害でもないでしょう。
※「草が門に生い茂っていようとも、家に入りたいなら入ればいいではないか。入る気もないくせに」という恨みの歌。

ねは見ねど あはれとぞ思ふ 武蔵野の 露分けわぶる 草のゆかりを
光源氏 ⇒ 若紫 (贈歌)
【現代語訳】
まだ一緒に寝てはいませんが愛しく思います。武蔵野の露に苦労する紫に縁のあるあなたを。
※「露分けわぶる草」は藤壺の宮を意識している。

かこつべき ゆゑを知らねば おぼつかな いかなる草の ゆかりなるらむ
若紫 ⇒ 光源氏 (返歌)
【現代語訳】
恨み言をいわれる理由が分かりません。私はどのような方の縁者なのでしょう。
※若紫は、藤壺と光源氏の不倫関係を知らない。「ゆかり」と言われて、誰のゆかりなのか疑問に思っている。