賢木(33首)さかき
神垣は しるしの杉も なきものを いかにまがへて 折れる榊ぞ
六条御息所 ⇒ 光源氏(贈歌)
【現代語訳】
こちらの野の宮には目印となる杉もないのに、どう間違えて折って持って来た榊なのでしょう。
※榊の枝を持って、野の宮を訪問した光源氏に贈った歌。
少女子が あたりと思へば 榊葉の 香をなつかしみ とめてこそ折れ
光源氏 ⇒ 六条御息所(返歌)
【現代語訳】
神に仕える少女がいる辺りだと思うと、榊葉の香りが恋しくなり、探し求めて折ったのです。
暁の 別れはいつも 露けきを こは世に知らぬ 秋の空かな
光源氏 ⇒ 六条御息所(贈歌)
【現代語訳】
あなたとの明け方の別れではいつも涙に濡れたが、今朝の別れは今までにないくらい涙に曇る秋の空です。
※伊勢に下向する六条御息所との別れを悲しむ和歌。
おほかたの 秋の別れも 悲しきに 鳴く音な添へそ 野辺の松虫
六条御息所 ⇒ 光源氏(返歌)
【現代語訳】
ただでさえ秋の別れは悲しいものなのに、さらに鳴いて悲しませないで野辺の松虫よ。
八洲もる 国つ御神も 心あらば 飽かぬ別れの 仲をことわれ
光源氏 ⇒ 伊勢の斎宮(贈歌)
【現代語訳】
我が国をお守りされている国つ神も心を持っているのなら、悲しみの尽きない別れを遂げなければならない理由を教えてください。
※六条御息所の娘に贈った歌。
国つ神 空にことわる 仲ならば なほざりごとを まづや糾さむ
斎宮の女別当 ⇒ 光源氏(贈歌)
【現代語訳】
国つ神がお二人の仲を裁かれることになったなら、あなたの誠意のないお言葉をまず問い詰められることでしょう。
※斎宮が、女別当に代作させた歌。
そのかみを 今日はかけじと 忍ぶれど 心のうちに ものぞ悲しき
六条御息所(独詠歌)
【現代語訳】
昔のことを今日は思い出すまいと耐えていたが、心の中では悲しく思われます。
※斎宮の娘に付きそって伊勢を下る六条御息所の和歌。
16歳で故東宮に入内して20歳で先立たれた思い出が心に浮かんで悲しんでいる。
振り捨てて 今日は行くとも 鈴鹿川 八十瀬の波に 袖は濡れじや
光源氏 ⇒ 六条御息所(贈歌)
【現代語訳】
あたなは私を捨てて今日、旅立って行かれるが、鈴鹿川を渡る時に袖を濡らして涙に濡れるのではないでしょうか。
鈴鹿川 八十瀬の波に 濡れ濡れず 伊勢まで誰れか 思ひおこせむ
六条御息所 ⇒ 光源氏(返歌)
【現代語訳】
鈴鹿川の数多い瀬の波に袖が濡れるか濡れないか、伊勢に行った私のことを誰が思い起こしてくださるでしょうか。
行く方を 眺めもやらむ この秋は 逢坂山を 霧な隔てそ
光源氏(独詠歌)
【現代語訳】
あの方が旅立った方角を眺めていよう、今年の秋は「逢う」という逢坂山を霧よ隠さないでくれ。
蔭ひろみ 頼みし松や 枯れにけむ 下葉散りゆく 年の暮かな
兵部卿宮(唱和歌)
【現代語訳】
木陰が広いと頼りにしていた松の木は枯れてしまったのか。下のほうの葉が散って行く年の暮れですね。
※「松」は桐壺院を、「下葉」は後宮の女性たちを喩える。桐壺院が崩御し、女御・更衣たちが内裏を退出していくさまを詠んだ和歌。
さえわたる 池の鏡の さやけきに 見なれし影を 見ぬぞ悲しき
光源氏(唱和歌)
【現代語訳】
氷の張った池が鏡のように明るく光っているが、長年見慣れた人影を見られないのが悲しい。
年暮れて 岩井の水も こほりとぢ 見し人影の あせもゆくかな
王命婦(唱和歌)
【現代語訳】
年が暮れて岩から湧く水も凍りつき、見慣れた人影も見えなくなっていきますね。
心から かたがた袖を 濡らすかな 明くと教ふる 声につけても
朧月夜 ⇒ 光源氏(贈歌)
【現代語訳】
自分からあれこれと考えると涙で袖が濡れてしまいます。夜が明けると教えてくれる声につけましても。
嘆きつつ わが世はかくて 過ぐせとや 胸のあくべき 時ぞともなく
光源氏 ⇒ 朧月夜(返歌)
【現代語訳】
嘆きながら生涯このように過ごせというのですか。胸の思いが晴れる瞬間もないのに。
逢ふことの かたきを今日に 限らずは 今幾世をか 嘆きつつ経む
光源氏 ⇒ 藤壺(贈歌)
【現代語訳】
お逢いすることの難しさがこれからも続くのならば、何度転生しても嘆きながら過すことでしょう。
※「今幾世」は今後生まれ変わるいくつもの世のことを言う。
長き世の 恨みを人に 残しても かつは心を あだと知らなむ
藤壺 ⇒ 光源氏(返歌)
【現代語訳】
幾世もの永い怨みを私に残したとしても、あなたのお心はまた一方ですぐに変わるものとご承知ください。
※「あだ」は源氏の贈歌の「かたき」からの連想。かたき ⇒ 敵 ⇒ あだ(仇)
浅茅生の 露のやどりに 君をおきて 四方の嵐ぞ 静心なき
光源氏 ⇒ 紫の上(贈歌)
【現代語訳】
浅茅生に置く露のようにはかない俗世にあなたを置いてきたので、まわりから吹き寄せる嵐のような世間の噂を聞くにつけ、心配になります。
※雲林院に参詣した源氏が紫の上に宛てた文に書いた和歌。
風吹けば まづぞ乱るる 色変はる 浅茅が露に かかるささがに
紫の上 ⇒ 光源氏(返歌)
【現代語訳】
風が吹くとすぐ乱れて心変わりするはかない浅茅生の露の上に巣をはってそれを頼みに生きている蜘蛛のような私ですからね。
※「色変はる」は源氏が心変わりすることの比喩。「ささがに(蜘蛛)」は紫の上自身を喩える。
かけまくは かしこけれども そのかみの 秋思ほゆる 木綿欅かな
光源氏 ⇒ 朝顔の君(贈歌)
【現代語訳】
口に上して言うのは畏れ多いことですが、その昔の秋の出来事が思い出されます。
※「そのかみの秋」は物語中には出てこない。「帚木」巻に源氏がかつて朝顔の君に和歌を贈ったという記述があり、その時のことを指すか。
そのかみや いかがはありし 木綿欅 心にかけて しのぶらむゆゑ
朝顔の君 ⇒ 光源氏(返歌)
【現代語訳】
その昔どうだったとおっしゃるのですか。心の底から思い慕うとおっしゃるわけは。
九重に 霧や隔つる 雲の上の 月をはるかに 思ひやるかな
藤壺の宮 ⇒ 光源氏(贈歌)
【現代語訳】
内裏には霧が何重にもかかってかかっているのでしょうか。雲の上の月が見えなくて、はるか遠くに思い申し上げています。
※「霧」は朱雀帝の周辺の悪意ある人々(右大臣など)「月」は宮中を指す。藤壺の宮はこの日、宮中を退出した。
「帝の周辺の悪意ある人に隔てられて、宮中のとの間に距離ができてしまいました」の意。
月影は 見し世の秋に 変はらぬを 隔つる霧の つらくもあるかな
光源氏 ⇒ 藤壺の宮(返歌)
【現代語訳】
月の光はあの頃の秋と変わらないのに、隔てる霧のあるのが辛いと感じられます。
※「月」は宮中を指すが、藤壺の宮の意味も込めて、源氏に冷淡な態度をとっている藤壺の宮を責めている。
木枯の 吹くにつけつつ 待ちし間に おぼつかなさの ころも経にけり
朧月夜 ⇒ 光源氏(贈歌)
【現代語訳】
木枯が吹くごとにあなたの訪問を待っているうちに、長い月日が経過してしまいました。
※源氏の訪れがないことを恨む和歌。
あひ見ずて しのぶるころの 涙をも なべての空の 時雨とや見る
光源氏 ⇒ 朧月夜(返歌)
【現代語訳】
お逢いできず恋心を忍んで泣いている涙の雨までを、よくある秋の時雨とお思いなのでしょうか。
別れにし 今日は来れども 見し人に 行き逢ふほどを いつと頼まむ
光源氏 ⇒ 藤壺の宮(贈歌)
【現代語訳】
故院にお別れ申し上げた命日が巡って来ましたが、亡き人にまためぐり逢える時はいつと期待できようか。
※雪が多く積もった日だったので、「行き」には「雪」をかけて冬の情景を喚起している。亡き桐壺院に逢えない悲しみを詠んだ和歌。
ながらふる ほどは憂けれど 行きめぐり 今日はその世に 逢ふ心地して
藤壺の宮 ⇒ 光源氏(返歌)
【現代語訳】
生き長らえておりますのは辛いことですが、命日の今日は、亡き院が生きていた頃ような思いがして。
※「ながらふる」に「(雪が)降る」をかけている。「行き」に「雪」をかけるのは、源氏の和歌から引用している。
月のすむ 雲居をかけて 慕ふとも この世の闇に なほや惑はむ
光源氏 ⇒ 藤壺の宮(贈歌)
【現代語訳】
月のように心のすんだ出家後の有様をお慕い申しあげても、なおも子どもを思うこの世の苦しみに迷い続けるのだろうか。
※「月のすむ雲居」は藤壺の宮の喩え。「すむ」には「住む」と「澄む」をかけて清らかな出家の境地を暗示する。
「後を追って出家したいけれど、2人の間の子(東宮)を思う煩悩ゆえに出家できない」の意。
おほかたの 憂きにつけては 厭へども いつかこの世を 背き果つべき
藤壺の宮 ⇒ 光源氏(返歌)
【現代語訳】
世間でよくある嫌なことからは離れられたが、いつになったら子どもへの煩悩を捨て去ることができるだろうか。
※「私も東宮のことが心配でなりません」の意。
ながめかる 海人のすみかと 見るからに まづしほたるる 松が浦島
光源氏 ⇒ 藤壺の宮(贈歌)
【現代語訳】
物思いに沈んでいらっしゃる方の住み家と思うと、まず先に涙に濡れてしまいます。
※年が明け、桐壺院の喪が明けた藤壺の宮を見舞う和歌。
ありし世の なごりだになき 浦島に 立ち寄る波の めづらしきかな
藤壺の宮 ⇒ 光源氏(返歌)
【現代語訳】
昔の名残さえないこのような場所に、立ち寄ってくださるとはありがたいことです。
※浦島太郎伝説を踏まえた和歌。
それもがと 今朝開けたる 初花に 劣らぬ君が 匂ひをぞ見る
三位中将<頭中将> ⇒ 光源氏(贈歌)
【現代語訳】
それが見たいと思っていた今朝咲いた花に負けないくらいのお美しさの我が君を見ています。
※その日の朝、薔薇が咲きかけていた。源氏の美しさは薔薇にも劣らないと称賛する。
時ならで 今朝咲く花は 夏の雨に しをれにけらし 匂ふほどなく
光源氏 ⇒ 三位中将<頭中将>(返歌)
【現代語訳】
時季に合わず今朝咲いた花は夏の雨にしおれてしまったらしい、美しさを見せる間もなく。
花散里(4首)はなちるさと
をちかへり えぞ忍ばれぬ ほととぎす ほの語らひし 宿の垣根に
光源氏 ⇒ 中川の女(贈歌)
【現代語訳】
昔の気持ちに戻って懐かしく思わずにはいられない、ほととぎすの声わずかに契りを交わした家なので
※源氏が昔の恋人に詠んだ和歌。
ほととぎす 言問ふ声は それなれど あなおぼつかな 五月雨の空
中川の女 ⇒ 光源氏(返歌)
【現代語訳】
ほととぎすの声ははっきりと聴き分けますが、どのようなご用件かわかりません、五月雨の空のように。
※「源氏の声だと分かるが、今さら何のご用?」とすっとぼけた和歌。
橘の 香をなつかしみ ほととぎす 花散る里を たづねてぞとふ
光源氏 ⇒ 麗景殿女御(贈歌)
【現代語訳】
橘の香りを懐かしく思って、ほととぎすが花の散ったこのお邸にやって参りました。
※「五月待つ 花橘の香をかげば 昔の人の袖の香ぞする」(古今和歌集 夏、一三九、読人知らず)と「橘の 花散里の 郭公 片恋しつつ 鳴く日しぞ多き」(万葉集八、一四七七、大伴旅人)の2首を踏まえた和歌。平安時代において、橘の香りは、昔を懐かしむ意味を持っていた。父桐壺帝の御代を懐かしむ気持ちの籠った和歌。ほととぎすを源氏に見立てる。
人目なく 荒れたる宿は 橘の 花こそ軒の つまとなりけれ
麗景殿女御 ⇒ 光源氏(返歌)
【現代語訳】
訪ねる人もおらず荒れてしまった邸には、軒端に咲く橘だけがあなたをお誘いするきっかけになったのでした。
※「つま」は「端」の意と「きっかけ」の意をかける。