須磨(48首)すま

鳥辺山 燃えし煙も まがふやと 海人の塩焼く 浦見にぞ行く
光源氏 ⇒ 大宮(贈歌)
【現代語訳】
かつて鳥辺山で焼いた煙に似ているのではないかと、海人が塩を焼く煙を見に、須磨の浦へ行きます。
※須磨へ下向することが決まった源氏。「浦見」には「恨み」がかかっている。以前、葵の上を鳥辺野で火葬した時の悲しみを回想しつつ、須磨をあの世に近い場所として捉えている。

亡き人の 別れやいとど 隔たらむ 煙となりし 雲居ならでは
大宮 ⇒ 光源氏(返歌)
【現代語訳】
亡き娘との仲もますます離れていくのでしょう。煙となった都の空ではないのでは。
※源氏が須磨へ下向してしまうと、亡き葵の上との仲がますます離れてしまうと嘆いた和歌。

身はかくて さすらへぬとも 君があたり 去らぬ鏡の 影は離れじ
光源氏 ⇒ 紫の上(贈歌)
【現代語訳】
わが身はこのように須磨へ流離しようとも、鏡に映った面影はあなたの元を離れずに残ることでしょう。
※紫の上との別離の歌。

別れても 影だにとまる ものならば 鏡を見ても 慰めてまし
紫の上 ⇒ 光源氏(返歌)
【現代語訳】
お別れしてもあなたの影だけでもとどまってくれるものなら、その影が映った鏡を見て慰めることもできましょうに。

月影の 宿れる袖は せばくとも とめても見ばや あかぬ光を
花散里 ⇒ 光源氏(贈歌)
【現代語訳】
月の光が映っている私の袖は狭いですが、このままとどめて見ておきたいと思います、見飽きることのない光を。
※「袖」は花散里自身を指し、「月影」「あかぬ光」は源氏を指す。源氏の須磨流離を悲しむ花散里の和歌。

行きめぐり つひにすむべき 月影の しばし雲らむ 空な眺めそ
光源氏 ⇒ 花散里(返歌)
【現代語訳】
空を渡っていき、ついには澄むはずの月の光ですから、しばらくの間曇っていても空を見て悲しんだりしないでください。
※「すむ」には「住む」と「澄む」をかける。「いつかは澄んだ潔白の身が証明されて、都に帰還して花散里と一緒に住めるから、悲しまないで」の意。

逢ふ瀬なき 涙の河に 沈みしや 流るる澪の 初めなりけむ
光源氏 ⇒ 朧月夜(贈歌)
【現代語訳】
あなたに逢えず泣き暮れて涙の川に沈んだことが、須磨へ流浪する身の上となるきっかけだったのでしょうか。
※「流るる澪」に「泣かるる身を」をかける。実際には逢瀬があったのに、「逢ふ瀬なき」と他人の目を気にしている。

涙河 浮かぶ水泡も 消えぬべし 流れて後の 瀬をも待たずて
朧月夜 ⇒ 光源氏(返歌)
【現代語訳】
涙の川に浮かんでいる泡も消えてしまうでしょう。生き長らえて再会できる日を待たずに。
※「あなたに再会するより前に私の命が尽きてしまうでしょう」の意。

見しはなく あるは悲しき 世の果てを 背きしかひも なくなくぞ経る
藤壺の宮 ⇒ 光源氏(贈歌)
【現代語訳】
桐壺院は崩御され、存命の方は悲しい身の上の世の末を…。私は出家した甲斐もなく泣き暮らしています。
※「見し」は故桐壺院、「ある」は源氏を指す。源氏の須磨流離を悲しむ和歌。

別れしに 悲しきことは 尽きにしを またぞこの世の 憂さはまされる
光源氏 ⇒ 藤壺の宮(返歌)
【現代語訳】
亡き桐壺院にお別れした際に悲しいことは経験し尽くしたと思ったのに、またもこの世のいっそう辛いことに遭ってしまいました。
※「この世」の「こ」に「子」を連想させ
東宮を案じる気持ちを表している。

ひき連れて 葵かざしし そのかみを 思へばつらし 賀茂の瑞垣
右近将監 ⇒ 光源氏(贈歌)

【現代語訳】
あなたにお供をして葵を頭に挿した御禊の日のことを思うと、御利益がなかったのかと辛い気持ちです、賀茂の神様よ。
※「そのかみ」には「神」をかける。

憂き世をば 今ぞ別るる とどまらむ 名をば糺の 神にまかせて
光源氏(独詠歌)
【現代語訳】
辛い世の中である都を今離れて旅立つ後に残る噂の裁きは、糺の神に委ねて。
※「糺の神」は地名に基づいて偽りを糺(ただ)す神とされていた。

亡き影や いかが見るらむ よそへつつ 眺むる月も 雲隠れぬる
光源氏(独詠歌)
【現代語訳】
亡き父桐壺院はどのように御覧になっておられるだろうか。父上だと思って見上げていた月の光も雲に隠れてしまった。
※「月」は故桐壺院の比喩。「月」が「雲隠れ」は桐壺院があの世で泣いている姿を喩える。

いつかまた 春の都の 花を見む 時失へる 山賤にし
光源氏 ⇒ 東宮(贈歌)
【現代語訳】
いつか再び春の都の花を見ることができるだろうか。時流を失った山賤のようなこの身ですが。
※「春の都の花」は東宮が即位する未来を言う。「山賊」は須磨へ下向する自分を卑下している。

咲きてとく 散るは憂けれど ゆく春は 花の都を 立ち帰り見よ
王命婦 ⇒ 光源氏(返歌)
【現代語訳】
咲いたかと思うとすぐ散ってしまう桜の花は悲しいけれど、また都に帰ってきて春の都を御覧になってください。
※女房の王命婦が幼い東宮の代わりに返歌をした。

生ける世の 別れを知らで 契りつつ 命を人に 限りけるかな
光源氏 ⇒ 紫の上(贈歌)
【現代語訳】
生きている間に生き別れというものがあるとは知らず、命のある限りはあなたとずっと一緒だと思っていたよ。

惜しからぬ 命に代へて 目の前の 別れをしばし とどめてしがな
紫の上 ⇒ 光源氏(返歌)
【現代語訳】
勿体なくもない私の命に代えて、今のこの別れの瞬間を少しの間でも引きとどめたいものです。

唐国に 名を残しける 人よりも 行方知られぬ 家居をやせむ
光源氏(独詠歌)
【現代語訳】
中国で名を残した人以上に行方も知らない寂しい暮らしをするのだろうか。
※中国の屈原の故事が念頭にある歌。屈原は讒言により都を追われ、汨羅江(べきらこう)に身を投げた。

故郷を 峰の霞は 隔つれど 眺むる空は 同じ雲居か
光源氏(独詠歌)
【現代語訳】
なつかしい都を山の霞は遠く隔てるが、眺めている空は同じ空なのか。

松島の 海人の苫屋も いかならむ 須磨の浦人 しほたるるころ
光源氏 ⇒ 藤壺の宮(贈歌)
【現代語訳】
出家して尼となられたあなたはいかがお過ごしですか。私は須磨の浦で泣き暮らしています。
※「松島」に「待つ」をかけ、「海人(あま)」に「尼」をかけている。

こりずまの 浦のみるめの ゆかしきを 塩焼く海人や いかが思はむ
光源氏 ⇒ 朧月夜(贈歌)
【現代語訳】
性懲りもなくあなたに逢いたいのですが、あなたはどう思っていらっしゃいますか。
※「懲りずま」に「須磨」をかけ、「海松布(みるめ)」に「見る目」をかけている。

塩垂るる ことをやくにて 松島に 年ふる海人も 嘆きをぞつむ
藤壺の宮 ⇒ 光源氏(返歌)
【現代語訳】
泣き暮れることを仕事として、出家した私も悲しみを積み重ねています。
※「松島」と「待つ」、「海人」と「尼」、「嘆き」と「投げ木」をかけている。「投げ木」は、「積む」の縁語。

浦にたく 海人だにつつむ 恋なれば くゆる煙よ 行く方ぞなき
朧月夜 ⇒ 光源氏(返歌)
【現代語訳】
須磨の浦の海人でさえ人目を忍ぶ恋なのですから、都にいる私の恋の火の煙はゆく宛もなく、くすぶっています。
※「恋(こひ)」の「ひ」に「火」をかけている。「燻ゆる(くゆる)」に「悔ゆる」をかけている。

浦人の 潮くむ袖に 比べ見よ 波路へだつる 夜の衣を
紫の上 ⇒ 光源氏(贈歌)
【現代語訳】
あなたのお袖とお比べてご覧ください。遠く海の道を隔てた都で、寂しく袖を濡らしている夜の衣と。
※源氏の文に対する返事

うきめかる 伊勢をの海人を 思ひやれ 藻塩垂るてふ 須磨の浦にて
六条御息所 ⇒ 光源氏(贈歌)
【現代語訳】
つらい思いをしている伊勢の私を思いやってください。泣き暮らしていらっしゃるという須磨の浦から。
※「浮き布(うきめ)」に「憂き目」をかける。源氏の文に対する返事。

伊勢島や 潮干の潟に 漁りても いふかひなきは 我が身なりけり
六条御息所 ⇒ 光源氏(贈歌)
【現代語訳】
伊勢の海の干潟で貝を漁っても、何の甲斐もないのは私です。
※「貝」と「甲斐」をかけている。

伊勢人の 波の上漕ぐ 小舟にも うきめは刈らで 乗らましものを
光源氏 ⇒ 六条御息所(返歌)
【現代語訳】
波の上を漕ぐ舟に一緒に乗って伊勢までお供すればよかったな。須磨で浮き海布などを刈って辛い思いをしないで。
※「うきめ」は「浮き海布」と「憂き目」をかける。「浮き海布」は海面に浮いている海藻のこと。

海人がつむ なげきのなかに 塩垂れて いつまで須磨の 浦に眺めむ
光源氏 ⇒ 六条御息所(返歌)
【現代語訳】
海人が積み重ねる投げ木の中に泣き暮らし、いつまで須磨の浦にいることでしょう。
※「投げ木」に「嘆き」をかける。

荒れまさる 軒のしのぶを 眺めつつ しげくも露の かかる袖かな
花散里 ⇒ 光源氏(贈歌)
【現代語訳】
いっそう荒れていく軒の忍ぶ草を眺めていると、ひどく涙の露に濡れる袖だこと。
※「しのぶ」は「偲ぶ」と「忍ぶ草」、「眺め」には「長雨」がかかっている。

恋ひわびて 泣く音にまがふ 浦波は 思ふ方より 風や吹くらむ
光源氏 (独詠歌)
【現代語訳】
恋しさに耐えきれず泣く私の泣き声に交じって波音が聞こえる。恋しい人のいる都の方から風が吹くからだろうか。

初雁は 恋しき人の 列なれや 旅の空飛ぶ 声の悲しき
光源氏 (唱和歌)
【現代語訳】
初雁は都に残してきた恋しい人の仲間なのだろうか。旅の空を飛ぶ声が悲しく聞こえる。
※「初雁」とは南下してきた雁。

かきつらね 昔のことぞ 思ほゆる 雁はその世の 友ならねども
良清 (唱和歌)
【現代語訳】
次から次へと昔の出来事が懐かしく思い出されます。雁は昔から友達であったわけではないのですが。

心から 常世を捨てて 鳴く雁を 雲のよそにも 思ひけるかな
民部大輔 (唱和歌)
【現代語訳】
自分の意志で常世を捨てて鳴いて空を旅する雁を、他人事のように思っていたなあ。
※源氏が都で栄えていた時代を、「常世」に喩えている。常世とは永久に不変の神域。

常世出でて 旅の空なる 雁がねも 列に遅れぬ ほどぞ慰む
前右近将監(唱和歌)
【現代語訳】
常世を出て旅の空にいる雁も仲間の隊列に遅れないでいる間は、心も慰みましょう。
※「源氏を含め仲間と一緒にいることで、流浪の悲しみが慰められます」の意。

見るほどぞ しばし慰む めぐりあはむ 月の都は 遥かなれども
光源氏 (独詠歌)
【現代語訳】
月を見ている間は少しの間だが心慰められる。また逢えるであろう月の都は遥か遠くであるが。
※「月の都」は京の都のこと。

憂しとのみ ひとへにものは 思ほえで 左右にも 濡るる袖かな
光源氏 (独詠歌)
【現代語訳】
辛いとばかり一途に思うこともできず、須磨流離の辛さと朱雀帝への愛しさとの両方で涙に濡れるわが袖だ。
※「ひとへ」は「偏に」と「単衣」をかける。

琴の音に 弾きとめらるる 綱手縄 たゆたふ心 君知るらめや
筑紫の五節 ⇒ 光源氏(贈歌)
【現代語訳】
琴の音に引き止められてしまいました。綱手縄のようにゆらゆら揺れている私の心をお分かりでしょうか。
※「ひき」に「引き」と「弾き」をかける。

心ありて 引き手の綱の たゆたはば うち過ぎましや 須磨の浦波
光源氏 ⇒ 筑紫の五節(返歌)
【現代語訳】
私を思う気持ちがあって引手綱のように揺れるのならば、あなたは通り過ぎて行かないでしょう、この須磨の浦を。

山賤の 庵に焚ける しばしばも 言問ひ来なむ 恋ふる里人
光源氏 (独詠歌)
【現代語訳】
山賊が貧しい家で焼いている柴のように、しばしば訪ねて来てほしい恋しい都の人よ。
※「しばしば」は「柴々」と「屡々」をかける。

いづ方の 雲路に我も 迷ひなむ 月の見るらむ ことも恥づかし
光源氏 (独詠歌)
【現代語訳】
どの方向の雲に私は迷いさすらって行くのだろうか。月が見ているだろうことも恥ずかしい。

友千鳥 諸声に鳴く 暁は ひとり寝覚の 床も頼もし
光源氏 (独詠歌)
【現代語訳】
友千鳥が一斉に鳴いている明け方は、一人の床に寝覚めて泣く私も心強い気がする。
※「友千鳥」は群れをなしている千鳥。

いつとなく 大宮人の 恋しきに 桜かざしし 今日も来にけり
光源氏 (独詠歌)
【現代語訳】
いつということもなく都の人が恋しく思われるのに、昔、桜をかざして遊んだ花の宴の日がまたやって来た。
※源氏は須磨で春を迎えた。都を懐かしむ和歌。

故郷を いづれの春か 行きて見む うらやましきは 帰る雁がね
光源氏 ⇒ 宰相中将<頭中将>(贈歌)
【現代語訳】
ふるさとの春をいつになったら、帰って見ることができるだろう。うらやましいのは今帰って行く雁だ。
※「雁」は須磨を訪れている頭中将を指す。

あかなくに 雁の常世を 立ち別れ 花の都に 道や惑はむ
宰相中将<頭中将> ⇒ 光源氏(返歌)
【現代語訳】
まだ心残りなうちに雁は常世を立ち去りますが、花の都への道にも迷いそうです。
※「雁」に「仮」をかけている。

雲近く 飛び交ふ鶴も 空に見よ 我は春日の 曇りなき身ぞ
光源氏 ⇒ 宰相中将<頭中将>(贈歌)
【現代語訳】
雲の近くを飛びかう鶴よ、はっきりとご覧ください。私は春の日のように少しもやましいところのない身なのです。
※「雲近く飛び交う鶴」は宮中に仕えている人を暗示する。

たづかなき 雲居にひとり 音をぞ鳴く 翼並べし 友を恋ひつつ
宰相中将<頭中将> ⇒ 光源氏(返歌)
【現代語訳】
頼りない雲居に私は一人で泣いています。かつて翼を並べた友であるあなたを恋い慕いながら。

知らざりし 大海の原に 流れ来て ひとかたにやは ものは悲しき
光源氏 (独詠歌)
【現代語訳】
今まで見たこともなかった大海原に流れされてきて、ひとかたならず悲しく思われることよ。
※禊の際に詠んだ和歌。人形に穢れや罪を託し、舟に乗せて流すことで厄払いをする。「ひとかた」には「人形」と「一方」をかけている。

八百よろづ 神もあはれと 思ふらむ 犯せる罪の それとなければ
光源氏 (独詠歌)
【現代語訳】
八百万の神々も私に同情してくださるでしょう。これといって犯した罪はないのだから。
※八百万の神に身の潔白を訴える。