明石(30首)あかし

浦風や いかに吹くらむ 思ひやる 袖うち濡らし 波間なきころ
紫の上 ⇒ 光源氏(贈歌)
【現代語訳】
須磨の浦ではどんなに激しい嵐が吹いていることでしょう。あなたのことが心配で袖を涙で濡らしているこの頃です。
※紫の上が都から源氏のことを心配して詠んだ歌。

海にます 神の助けに かからずは 潮の八百会に さすらへなまし
光源氏 (独詠歌)
【現代語訳】
海に鎮座されている神の御加護がなかったならば、多くの潮流が渦巻く沖合に流され行方知らずとなっただろう。
※住吉の神に感謝を述べる和歌。「ます」「潮の八百会」は祝詞の用語。

遥かにも 思ひやるかな 知らざりし 浦よりをちに 浦伝ひして
光源氏 ⇒ 紫の上(贈歌)
【現代語訳】
遥か遠くからあなたを心配しております。知らない浦(須磨)からさらに遠くの浦(明石)に流れ着いても。
※源氏はこのとき、須磨から明石へ移動していた。

あはと見る 淡路の島の あはれさへ 残るくまなく 澄める夜の月
光源氏 (独詠歌)
【現代語訳】
ああと、しみじみ眺める淡路島の情趣まで、すっかり照らしだす今夜の月であることよ。

一人寝は 君も知りぬや つれづれと 思ひ明かしの 浦さびしさを
明石の入道 ⇒ 光源氏(贈歌)
【現代語訳】
独り寝の辛さはあなたもお分かりになりましたか。所在なく物思いに夜を明かす明石の浦の寂しさを。
※「も」は同類の意味を持ち、「源氏だけでなく明石の君も独り寝が寂しい」の意。

旅衣 うら悲しさに 明かしかね 草の枕は 夢も結ばず
光源氏 ⇒ 明石の入道(返歌)
【現代語訳】
旅の日々の寂しさに夜を明かしかねて、穏やかな夢を見ることもありません。

をちこちも 知らぬ雲居に 眺めわび かすめし宿の 梢をぞ訪ふ
光源氏 ⇒ 明石の君(贈歌)
【現代語訳】
地理のわからない土地にわびしい生活を送っていますが、お噂を聞いて文を差し上げます。
※「かすめし」は入道が源氏に娘のことを話したという意味。

眺むらむ 同じ雲居を 眺むるは 思ひも同じ 思ひなるらむ
明石の入道 ⇒ 光源氏(返歌)
【現代語訳】
あなたが眺めていらっしゃる空を同じく私も眺めているのは、きっと同じ気持ちで物思いにふけっているからなのでしょう。
※娘の代わりに明石の入道が詠んだ返歌。「眺む」「同じ」「思ひ」を2度ずつ使用し、娘と源氏が同じ気持ちであると強調。

いぶせくも 心にものを 悩むかな やよやいかにと 問ふ人もなみ
光源氏 ⇒ 明石の君(贈歌)
【現代語訳】
気分が晴れなくて、心の中で悩んでおります。いかがですかと訪問してくれる人もいないので。

思ふらむ 心のほどや やよいかに まだ見ぬ人の 聞きか悩まむ
明石の君 ⇒ 光源氏(返歌)
【現代語訳】
私を思うとおっしゃいますが、真意はいかがなものでしょうか。まだ見たこともない方が噂だけ聞いて悩むということがありましょうか。

秋の夜の 月毛の駒よ 我が恋ふる 雲居を翔れ 時の間も見む
光源氏 (独詠歌)
【現代語訳】
秋の夜の月毛の馬よ、私が恋しく思う都へ天翔けてくれ、少しの間でもあの人に会いたいので。
※紫の上を恋うる和歌。「月毛」の馬に、「月」という名を持つなら夜空をかけて都に連れていってくれと願う。

むつごとを 語りあはせむ 人もがな 憂き世の夢も なかば覚むやと
光源氏 ⇒ 明石の君(贈歌)
【現代語訳】
男女の語らいをできる相手がほしいのです。この辛い世の夢がいくらかでも覚めやしないかと。
※須磨流離を「憂き世の夢」ととらえ、明石の君と結ばれることで悪い夢から覚めると言い寄っている。

明けぬ夜に やがて惑へる 心には いづれを夢と わきて語らむ
明石の君 ⇒ 光源氏(返歌)
【現代語訳】
明けない夜の闇にそのまま迷っている私の心には、どちらが夢か現実か判別してお話しすればよいのでしょうか。

しほしほと まづぞ泣かるる かりそめの みるめは海人の すさびなれども
光源氏 ⇒ 紫の上(贈歌)
【現代語訳】
あなたのことを思うと、さめざめと泣けてしまいます。一時的な恋は海人の私の遊びですけれども。
※「しほしほ(擬態語)」と「塩」、「海松布(海草)」と「見る目」をかけている。明石の君との浮気を後ろめたく思っている。

うらなくも 思ひけるかな 契りしを 松より波は 越えじものぞと
紫の上 ⇒ 光源氏(返歌)
【現代語訳】
約束をしましたので、何の疑いもなく信じていました。末の松山を波は越えることがないように、心変わりはないものだと。
※「君をおきてあだし心をわが持たば末の松山波も越えなむ」(古今集、一〇九三、陸奥歌)などを引歌としている。末の松山は高さ10mほどの小山で宮城県にある。大津波がきても波が末の松山を越えることはないとされていた。「絶対に起きないこと」の比喩として、男女の不変の愛を誓う時に用いられる表現。

このたびは 立ち別るとも 藻塩焼く 煙は同じ 方になびかむ
光源氏 ⇒ 明石の君(贈歌)
【現代語訳】
いったんはお別れしますが、藻塩焼く煙が、同じ方向になびくように上京したら一緒に暮らしましょう。
※「たび」は「旅」と「度」を書ける。

かきつめて 海人のたく藻の 思ひにも 今はかひなき 恨みだにせじ
明石の君 ⇒ 光源氏(返歌)
【現代語訳】
海人が藻をかき集めて、その藻を燃やしながら物思いしていますが、今は言っても甲斐のないことなので、お恨みはいたしません。
※「ものおもひ」に「物思い」と「藻」と「火」、「かひなき」に「貝」と「甲斐」、「うらみ」に「浦」と「恨み」をかけている。「源氏が私を置いて都に帰還することを恨みません」の意。

なほざりに 頼め置くめる 一ことを 尽きせぬ音にや かけて偲ばむ
明石の君 ⇒ 光源氏(贈歌)
【現代語訳】
あなたがいい加減な気持ちでおっしゃるお言葉を、声をあげて泣きながら心にかけて、お偲び申しあげます。
※「ひとこと」には「一琴」と「一言」をかける。明石の君は源氏から形見の琴をもらった。

逢ふまでの かたみに契る 中の緒の 調べはことに 変はらざらなむ
光源氏 ⇒ 明石の君(返歌)
【現代語訳】
再会する時までの形見に残した琴の中の緒の調子のように、二人の仲の愛情も、大きくは変わらないでいてほしいです。
※「かたみ」に「形見」と「互いに」、「中のを」に琴の「中の緒」と二人の「仲」、「ことに」に「異に」と「琴に」をかける。

うち捨てて 立つも悲しき 浦波の 名残いかにと 思ひやるかな
光源氏 ⇒ 明石の君(贈歌)
【現代語訳】
あなたを置き去りに明石の浦を旅立つ私も悲しい気持ちですが、後に残されたあなたはどのような気持ちになるかと心配です。

年経つる 苫屋も荒れて 憂き波の 返る方にや 身をたぐへまし
明石の君 ⇒ 光源氏(返歌)
【現代語訳】
長年住んだ粗末な家も、あなたが去った後は荒れはてて、辛い思いをするだろうから、いっそのこと打ち返す波に身を投げてしまいたい。
※「かえる」の主語は、源氏と波の両方。「都に帰る源氏についていきたい」という意と「打ち返す波に投身してしまいたい」という意、両方の意味を含んでいる。

寄る波に 立ちかさねたる 旅衣 しほどけしとや 人の厭はむ
明石の君 ⇒ 光源氏(贈歌)
【現代語訳】
ご用意しました旅のご装束は、私の涙に濡れていますので、あなたは嫌だとお思いになるかしら。
※「たち」は「立ち」と「裁ち」をかけている。「旅衣」までは下の句にかかる序詞であり、「しほどけしとや 人の厭はむ」を導き出すための前置きとして機能している。

かたみにぞ 換ふべかりける 逢ふことの 日数隔てむ 中の衣を
光源氏 ⇒ 明石の君(返歌)
【現代語訳】
お互いに形見として着物を交換しよう。再会できる日まで、かなりの日数を隔てるでしょうから。
※「隔てむ」は、「日数隔てむ」と「隔てむ中の衣」を兼ねる掛詞。

世をうみに ここらしほじむ 身となりて なほこの岸を えこそ離れね
明石の入道 ⇒ 光源氏(贈歌)
【現代語訳】
世の中が嫌になり、長年ここ明石の潮風に吹かれてきたが、依然として娘を理由としてこの世を離れることができません。
※「うみ」は「海」と「憂み」、「この岸」には「子」と「此」をかけている。「此岸」はこの世、現世のこと。

都出でし 春の嘆きに 劣らめや 年経る浦を 別れぬる秋
光源氏 ⇒ 明石の入道(返歌)
【現代語訳】
都を去ったあの春の悲しさに劣っていようか。長い年月を過ごしたこの浦と別れる悲しい秋は。
※源氏は一昨年の春3月20日頃に京を離れた。その時の悲しみにも劣らないくらい、明石の一族との別れが悲しい。

わたつ海に しなえうらぶれ 蛭の児の 脚立たざりし 年は経にけり
光源氏 ⇒ 朱雀帝(贈歌)
【現代語訳】
海辺でしおれて落ちぶれながら蛭子のように、立つこともできず三年を過ごして来ました。
※蛭子(ヒルコ)とは日本神話に登場する神。不具の子であったため、葦舟に乗せて流された。「かぞいろはあはれと見ずや蛭の子は三歳になりぬ脚立たずして」(日本紀竟宴和歌、大江朝綱)を踏まえた和歌である。源氏は須磨・明石にいた期間の自分を蛭子神に喩えている。

宮柱 めぐりあひける 時しあれば 別れし春の 恨み残すな
朱雀帝 ⇒ 光源氏 (返歌)
【現代語訳】
このようにめぐり会えたのだから、昔別れた春の恨みは忘れてください。
※「宮柱」は日本神話に基づく。イザナギとイザナミはオノゴロ島に柱を建て、その周りをまわって出逢った。
源氏と朱雀帝の再会のシーンで詠まれた和歌。

嘆きつつ 明石の浦に 朝霧の 立つやと人を 思ひやるかな
光源氏 ⇒ 明石の君(贈歌)
【現代語訳】
あなたが嘆きながら夜を明かしていらっしゃる明石の浦に、悲しみの吐息が朝霧となって立ちこめているのではないかと心配しています。
※「明石」と「明かし」をかけている。

須磨の浦に 心を寄せし 舟人の やがて朽たせる 袖を見せばや
筑紫の五節 ⇒ 光源氏 (贈歌)
【現代語訳】
須磨の浦であなたに心を寄せていた舟人が、そのまま涙で朽ちてしまった袖をお見せしたいものです。※舟人に自分を喩えている。

帰りては かことやせまし 寄せたりし 名残に袖の 干がたかりしを
光源氏 ⇒ 筑紫の五節 (返歌)
【現代語訳】
かえって私が愚痴を言いたいくらいです。あなたに気持ちを寄せていただいてから、袖が涙に濡れて乾かないものですから。

澪標(17首)みおつくし

かねてより 隔てぬ仲と ならはねど 別れは惜しき ものにぞありける
光源氏 ⇒ 宣旨の君 (贈歌)
【現代語訳】
以前から特別に親しい間柄だったわけではないが、あなたとの別れは悲しい気持ちになるものだな。
※「宣旨の君との別れが辛い」という意味の和歌。宣旨の君は明石の姫君の乳母となる。

うちつけの 別れを惜しむ かことにて 思はむ方に 慕ひやはせぬ
宣旨の君 ⇒ 光源氏 (返歌)
【現代語訳】
お会いしたばかりで別れを惜しむ言葉は口実で、本当は愛しい人がいらっしゃる場所に行きたいのではないですか。
※「思はむ方」は明石の君がいる場所。

いつしかも 袖うちかけむ をとめ子が 世を経て撫づる 岩の生ひ先
光源氏 ⇒ 明石の君 (贈歌)
【現代語訳】
天女が羽衣で岩を撫でるように、。早く姫君を手元に引き取って育てたい。岩のように生い先の長い姫の将来を祝って。
※明石の姫君の長寿を祝い、早く自分が引き取って世話をしたいと望んでいる。

ひとりして 撫づるは袖の ほどなきに 覆ふばかりの 蔭をしぞ待つ
明石の君 ⇒ 光源氏(返歌)
【現代語訳】
私一人で姫君をお世話するのは不十分ですので、あなた様の大きな庇護を期待しております。
※源氏の和歌の「袖」「撫づる」を引いて返している。「袖のほどなき」は明石の君一人では世話が行き届かないことを表す。「覆ふばかりの蔭」は源氏の支援の喩え。

思ふどち なびく方には あらずとも われぞ煙に 先立ちなまし
紫の上 ⇒ 光源氏(贈歌)
【現代語訳】
愛しあっている者同士が同じ方向になびいているのとは違って、私は煙となって先に亡くなってしまいたい。
※この和歌の直前に、源氏は紫の上に「あはれなりし夕べの煙」について語っている。
源氏の贈歌 「このたびは立ち別るとも藻塩焼く煙は同じ方になびかむ」も紫の上に語って聞かせたと推測される。紫の上の和歌は、源氏が明石で詠んだ和歌を踏まえて詠んだもの。

誰れにより 世を海山に 行きめぐり 絶えぬ涙に 浮き沈む身ぞ
光源氏 ⇒ 紫の上 (返歌)
【現代語訳】
私はいったい誰のために憂き世を海へ山へとさすらい、涙を流し続けてて浮き沈みしてきたのでしょうか。
※「海」と「憂み」をかけている。「あなたのために辛いことを我慢してきたんですよ」の意。

海松や 時ぞともなき 蔭にゐて 何のあやめも いかにわくらむ
光源氏 ⇒ 明石の君 (贈歌)
【現代語訳】
姫君は、いつも同じ田舎にいたのでは、今日が五月五日の節句であり、五十日の祝であるとどうしてお分りになりましょうか。
※「海松」は明石の姫君を指す。「松」は長寿を予祝するもの。「あやめ」は「菖蒲」と「文目」をかけ、「いか」は「五十日」と「如何」をかける。

数ならぬ み島隠れに 鳴く鶴を 今日もいかにと 問ふ人ぞなき
明石の君 ⇒ 光源氏(返歌)
【現代語訳】
人数にも入らない私のもとで育つ姫君を、今日の五十日の祝いはどうですかと訪ねてきてくれる人は他にいません。
※姫君を「鶴」に喩え、「み」に「身」をかけ、「いか」に「五十」をかけている。

水鶏だに おどろかさずは いかにして 荒れたる宿に月を入れまし
花散里 ⇒ 光源氏(贈歌)
【現代語訳】
水鶏が戸を叩いて教えてくれなかったら、この荒れた邸に月の光を迎え入れることができたでしょうか。
※「だに」は「せめて~だけでも」の意。「月」は光源氏の比喩。「水鶏が鳴いて教えてくれたから、あなたを迎え入れることができたのです」の意。光源氏と花散里の再会。

おしなべて たたく水鶏に おどろかば うはの空なる 月もこそ入れ
光源氏 ⇒ 花散里 (返歌)
【現代語訳】
すべての家の戸を叩く水鶏の音にこたえて戸を開けたら、私以外の月の光が入ってくるのではないですか。

住吉の 松こそものは かなしけれ 神代のことを かけて思へば
惟光 ⇒ 光源氏(贈歌)
【現代語訳】
住吉の松を見るにつけ感無量です。昔の流浪の旅が思い出されますので。
※「松」は「まづ」をかけている。「住吉の松を見ると、まず真っ先に須磨明石の流浪の日々が思い出されて感無量です」の意。源氏がお供を連れて住吉詣を行った際の和歌。

荒かりし 波のまよひに 住吉の 神をばかけて 忘れやはする
光源氏 ⇒ 惟光 (返歌)
【現代語訳】
須磨で大嵐に遭った時に祈った住吉の神の霊験をどうして忘られようか。

みをつくし 恋ふるしるしに ここまでも めぐり逢ひける えには深しな
光源氏 ⇒ 明石の君 (贈歌)
【現代語訳】
身を尽くして恋いこがれていた印として、ここで巡り合うことができるとは、私たちの縁は深いのですね。
※「澪標=水脈つ串」と「身を尽くし」をかけている。「縁(えに)」と「江に」をかけている。同じく住吉詣に来た明石の君と鉢合わせ、源氏は和歌を贈った。

数ならで 難波のことも かひなきに などみをつくし 思ひそめけむ
明石の君 ⇒ 光源氏(返歌)
【現代語訳】
人数にも入らない身の上で、全て諦めておりましたのに、どうして身を尽くしてまでお慕いすることになったのでしょう。

露けさの 昔に似たる 旅衣 田蓑の島の 名には隠れず
光源氏(独詠歌)
【現代語訳】
涙に濡れる旅衣は、昔、須磨を流浪した時に似ているな。田蓑の島という名の蓑の名には身は隠れないので。
※「雨により田蓑の島を今日行けど名には隠れぬものにぞありける」(雨が降ったから、田蓑の島を今日歩いてみたが、「蓑」というのは名ばかりで雨を防いでくれなかった)(古今集雑上、九一八、貫之)を引歌としている。

降り乱れ ひまなき空に 亡き人の 天翔るらむ 宿ぞ悲しき
光源氏 ⇒ 斎宮<六条御息所の娘> (贈歌)
【現代語訳】
雪や霙が降り乱れている空を、亡き母宮の魂が、まだ家を離れられず天翔けっているだろうと悲しく思われます。
※六条御息所の死去を悼む和歌。六条御息所の執着心を心配している。ほとんど技巧がないシンプルな和歌。

消えがてに ふるぞ悲しき かきくらし わが身それとも 思ほえぬ世に
斎宮<六条御息所の娘> ⇒ 光源氏 (返歌)
【現代語訳】
消えそうになく生きていますのが悲しいです。毎日涙に暮れてわ我が身が我が身とも思われない世の中に。
※「ふる」は「降る」と「経る」をかけている。「わが身それとも」には霙をおりこむ。