夕霧(26首)ゆうぎり
山里の あはれを添ふる 夕霧に 立ち出でむ空も なき心地して
夕霧 ⇒ 女二の宮<落葉の宮>(贈歌)
【現代語訳】
山里の物悲しい風情を添える夕霧のせいで、帰って行く気持ちにもなれません。
※「霧」「立ち」「空」が縁語。夕霧は落葉の宮が住む山荘を訪問した。

山賤の 籬をこめて 立つ霧も 心そらなる 人はとどめず
女二の宮<落葉の宮> ⇒ 夕霧 (返歌)
【現代語訳】
山里の垣根に立ちこめた霧も、軽薄な心の人は引き止めません。
※「霧」は落葉の宮自身、「心そらなる人」は夕霧を指す。自分に好意を持つ夕霧を突っぱねる。

我のみや 憂き世を知れる ためしにて 濡れそふ袖の 名を朽たすべき
女二の宮<落葉の宮> ⇒ 夕霧 (贈歌)
【現代語訳】
私だけが不幸な結婚をした女の例として、さらに良くない評判を受けて涙を流さなければいけないのですか。
※「柏木との結婚で苦しんだのに、さらに夕霧と結婚して苦しまなければならないのか」の意。夕霧は落葉の宮をかき抱き、迫った。

おほかたは 我濡衣を 着せずとも 朽ちにし袖の 名やは隠るる
夕霧 ⇒ 女二の宮<落葉の宮>(返歌)
【現代語訳】
私があなたに悲しい思いをさせなくても、既に悪い評判が立ってしまって、もう隠せるものではありません。
※「既に柏木とのことで悪評が広まっているから、自分との間に悪評を立ててもいいではないですか」の意。

荻原や 軒端の露に そぼちつつ 八重立つ霧を 分けぞ行くべき
夕霧 ⇒ 女二の宮<落葉の宮>(贈歌)
【現代語訳】
荻原の軒端の荻の露に濡れながら、何重にも立ち籠めた霧の中を帰って行かねばならないのでしょう。
※「露と霧の中、涙に濡れて、帰っていかねばならない」と、落葉の宮の同情をひこうとする和歌。

分け行かむ 草葉の露を かことにて なほ濡衣を かけむとや思ふ
女二の宮<落葉の宮> ⇒ 夕霧 (返歌)
【現代語訳】
帰って行く途中で草葉の露に濡れるのを言いがかりに、私に濡れ衣を着せようと思っていらっしゃいますか。
※「私にあらぬ浮き名を負わせないでください」の意。

魂を つれなき袖に 留めおきて わが心から 惑はるるかな
夕霧 ⇒ 女二の宮<落葉の宮>(贈歌)
【現代語訳】
魂を冷たいあなたの所に置いてきて、自分のことながらどうしてよいか分からず困惑しています。
※後朝の文。

せくからに 浅さぞ見えむ 山川の 流れての名を つつみ果てずは
夕霧 ⇒ 女二の宮<落葉の宮>(贈歌)
【現代語訳】
私の気持ちを拒むゆえに浅いお心が見えるでしょう。山川の流れのように浮き名は包み隠せませんから。
※「塞く」「浅さ」「流れ」は「山川」の縁語。

女郎花 萎るる野辺を いづことて 一夜ばかりの 宿を借りけむ
一条御息所 ⇒ 夕霧 (返歌)
【現代語訳】
女郎花が萎れている野辺をどういうお心から、一夜だけの宿をお借りになったのですか。
※夕霧と落葉の宮が結婚したと思い、
今宵、夕霧の訪問がないのを責める和歌。

秋の野の 草の茂みは 分けしかど 仮寝の枕 結びやはせし
夕霧 ⇒ 一条御息所(贈歌)
【現代語訳】
秋の野の草の茂みを踏み分けてうかがいましたが、仮寝の枕に男女の契りを結ぶようなことはしていません。

あはれをも いかに知りてか 慰めむ あるや恋しき 亡きや悲しき
雲居雁 ⇒ 夕霧 (贈歌)
【現代語訳】
あなたが悲しんでいるのを、何が原因と思って慰めしたらいいですか。生きている方が恋しいのか、亡くなった方が悲しいのか。
※「ある」は落葉宮を、「亡き」は一条御息所を指す。

いづれとか 分きて眺めむ 消えかへる 露も草葉の うへと見ぬ世を
夕霧 ⇒ 雲居雁(返歌)
【現代語訳】
特に何が悲しいというわけではありません。消えてしまう露も草葉の上だけでないこの世ですから。
※落葉の宮とのことをはぐらかした和歌。
里遠み 小野の篠原 わけて来て 我も鹿こそ 声も惜しまね
夕霧 ⇒ 少将の君(贈歌)
【現代語訳】
人里が遠いので小野の篠原を踏み分けて来ましたが、私も鹿のように声をあげて泣いています。
※「鹿」と「然(しか)」の掛詞。少将の君は落葉の宮の女房。

藤衣 露けき秋の 山人は 鹿の鳴く音に 音をぞ添へつる
少将の君 ⇒ 夕霧(返歌)
【現代語訳】
喪服も涙に濡れている秋の山人は、鹿の鳴く声に、声を添えて泣いています。

見し人の 影澄み果てぬ 池水に ひとり宿守る 秋の夜の月
夕霧(独詠歌)
【現代語訳】
あの人がもう住んでいないこの邸の池の水に、ひとりで宿を守っている秋の夜の月よ。
※柏木を偲ぶ和歌。「見し人」は柏木を指す。一条宮邸のそばを通った時に詠んだ和歌。「人の影」「(月の)影」、
「住み」「澄み」の掛詞。「影」「澄み」「月」は縁語。

いつとかは おどろかすべき 明けぬ夜の 夢覚めてとか 言ひしひとこと
夕霧 ⇒ 女二の宮<落葉の宮>(贈歌)
【現代語訳】
いつになったらお訪ねできますでしょうか。明けない夜の夢が覚めたらとおっしゃっていましたが。
※落葉の宮が昨夜「今は、かくあさましき夢の世を、すこしも思ひ覚ます折あらば」と語ったことを受けた和歌。

朝夕に 泣く音を立つる 小野山は 絶えぬ涙や 音無の滝
女二の宮<落葉の宮>(独詠歌)
【現代語訳】
朝も夕も声を立てて泣いている小野山では、絶え間なく流れる涙は音無の滝になるのでしょうか。
※落葉の宮の手習歌。

のぼりにし 峰の煙に たちまじり 思はぬ方に なびかずもがな
女二の宮<落葉の宮>(独詠歌)
【現代語訳】
母君が空へのぼっていった峰の煙にまじって、思ってもいない方角になびかずにいたいものだわ。
※「夕霧と結婚するよりは亡くなった母のもとへ行きたい」の意。

恋しさの 慰めがたき 形見にて 涙にくもる 玉の筥かな
女二の宮<落葉の宮>(独詠歌)
【現代語訳】
恋しさを慰められない形見の品として、涙に曇る玉の箱ですこと。
※玉の筥は法華経を入れた箱。母御息所の形見である。

怨みわび 胸あきがたき 冬の夜に また鎖しまさる 関の岩門
夕霧 ⇒ 女二の宮<落葉の宮>(贈歌)
【現代語訳】
怨んでも怨みきれません。思いを晴らすことができない冬の夜に、さらに鎖をかけられた関所のような岩の門ですね。
※夕霧の思惑で一条宮邸に連れ戻された落葉の宮は、塗籠にこもって夕霧を拒否し続ける。落葉の宮の冷たい態度を恨む和歌。

馴るる身を 恨むるよりは 松島の 海人の衣に 裁ちやかへまし
雲居雁 ⇒ 夕霧(贈歌)
【現代語訳】
長年一緒に過ごして古くなった我が身を恨むよりも、いっそのこと尼姿になってしまおうかしら。
※着古して柔らかくなった夕霧の下着を手に取って詠んだ和歌。夕霧は雲居雁を置いて落葉の宮のもとへ
向かおうとする。「恨む」「裏」、「尼」「海人」は掛詞。「馴るる」「裏」「衣」「裁ち」、「浦」「松島」は縁語。

松島の 海人の濡衣 なれぬとて 脱ぎ替へつてふ 名を立ためやは
夕霧 ⇒ 雲居雁(返歌)
【現代語訳】
長年連れ添ったからといって、私を捨てて尼になったという噂が立ってよいものでしょうか。

契りあれや 君を心に とどめおきて あはれと思ふ 恨めしと聞く
太政大臣<頭中将> ⇒ 女二の宮<落葉の宮>(贈歌)
【現代語訳】
前世からの因縁があるのか、あなたのことをお気の毒だと思う一方で、恨めしい方だと聞いています。
※「あはれ」と思うのは落葉の宮が息子・柏木の妻だったから。「うらめし」と思うのは、落葉の宮が娘・雲居雁の夫(夕霧)を奪ったから。

何ゆゑか 世に数ならぬ 身ひとつを 憂しとも思ひ かなしとも聞く
女二の宮<落葉の宮> ⇒ 太政大臣<頭中将>(返歌)
【現代語訳】
なぜ世の中で人の数にも入らない私のことを、辛いとも思い愛しいともお思いになるのでしょう。
※「身ひとつ」と言うことで、自分は夕霧とは無関係だと主張している。

数ならば 身に知られまし 世の憂さを 人のためにも 濡らす袖かな
藤典侍 ⇒ 雲居雁(贈歌)
【現代語訳】
私が人数に入る存在だったら、夫の浮気の悲しみを思い知るでしょうが。あなたのために涙で袖を濡れております。
※藤典侍は惟光の娘で、夕霧の愛人。「身」は藤典侍自身のこと。「人」は雲居雁を指す。「私は身分が低いから夫の浮気は諦められるけど、あなたはお辛いでしょう」の意。

人の世の 憂きをあはれと 見しかども 身にかへむとは 思はざりしを
雲居雁 ⇒ 藤典侍(返歌)
【現代語訳】
他人の夫婦仲の辛さを気の毒だと思って見てきましたが、自分のことになるとは思いませんでした。

御法(12首)みのり
惜しからぬ この身ながらも かぎりとて 薪尽きなむ ことの悲しさ
紫の上 ⇒ 明石の君(贈歌)
【現代語訳】
惜しくもない我が身ですが、これを最後として、薪が尽きて火が消えるように、命が尽きることを思うと悲しいものです。
※「この身」に「菓(このみ)」を掛け、法華経の経文を想起させる。「菓(このみ)を採り水を汲み、薪を拾ひ食(じき)を設け」(法華経、提婆達多品)、法華経の序品には「薪尽て火の滅するが如し」という一文もある。
二条院の法華経供養の際に詠んだ和歌。

薪こる 思ひは今日を 初めにて この世に願ふ 法ぞはるけき
明石の君 ⇒ 紫の上(返歌)
【現代語訳】
仏道へのお思いは今日を最初の日として、この世で願う仏法のために、この先も永く祈り続けられることでしょう。
※紫の上が自身の寿命が尽きることを詠んだのに対し、明石の君は紫の上の長寿を祝う和歌を返し、励ましている。

絶えぬべき 御法ながらぞ 頼まるる 世々にと結ぶ 中の契りを
紫の上 ⇒ 花散里(贈歌)
【現代語訳】
私の人生で最後の法会ですが、現世も来世もと結んだあなたとの縁を頼もしく思います。

結びおく 契りは絶えじ おほかたの 残りすくなき 御法なりとも
花散里 ⇒ 紫の上(返歌)
【現代語訳】
あなたと法会で結んだ縁は絶えることがないでしょう。私のような普通の人は残り少ない命で、法会も多くは催せないでしょうけど(あなたは違う)。
※「普通の人は法会も多くは催せないけれど、紫の上は長生きして、法会も多く開催できます」の意。

おくと見る ほどぞはかなき ともすれば 風に乱るる 萩のうは露
紫の上(唱和歌)
【現代語訳】
起きていると見えるのも少しの時間であり、ややもすれば風に吹き乱れる萩の上露のような、はかない私の命です。
※「置く」「起く」は掛詞。「露」「置く」縁語。

ややもせば 消えをあらそふ 露の世に 後れ先だつ ほど経ずもがな
光源氏(唱和歌)
【現代語訳】
ややもすれば先を争って消えてゆく露のようにはかない人の世に、後れたり先立ったりせずあなたと私、一緒に消えたいものです。

秋風に しばしとまらぬ 露の世を 誰れか草葉の うへとのみ見む
明石の中宮(唱和歌)
【現代語訳】
秋風に少しの間もとどまらず散っていく露の命を、誰が草葉の上の露だけと思うでしょうか。
※紫の上だけではなく、自分の命もはかないものだと慰める和歌。

いにしへの 秋の夕べの 恋しきに 今はと見えし 明けぐれの夢
夕霧(独詠歌)
【現代語訳】
昔お姿を拝見した秋の夕暮を恋しく思うにつけても、明け方の暗がりの中で見たご臨終のお姿が夢のようだ。
※紫の上の死を悼む和歌。

いにしへの 秋さへ今の 心地して 濡れにし袖に 露ぞおきそふ
致仕大臣<頭中将> ⇒ 光源氏 (贈歌)
【現代語訳】
昔の秋までが今のような心地がして、涙に濡れた袖の上にさらに涙を落としています。
※30年前の妹・葵の上の死を思い出しつつ、今回の紫の上の死を悼む弔問の和歌。

露けさは 昔今とも おもほえず おほかた秋の 夜こそつらけれ
光源氏 ⇒ 致仕大臣<頭中将> (返歌)
【現代語訳】
涙に濡れているのは昔も今も同じです。だいたい秋の夜というものは物悲しい気持ちになるのです。

枯れ果つる 野辺を憂しとや 亡き人の 秋に心を とどめざりけむ
秋好中宮 ⇒ 光源氏 (贈歌)
【現代語訳】
枯れ果てた野辺を嫌っていたから、亡くなられたお方は、秋をお好きでなかったのでしょうか。
※紫の上は生前、春が好きだった。「秋に亡くなったのは、秋が好きでなかったからか」の意。「枯れ果つる」は人生の最期を連想させる。

昇りにし 雲居ながらも かへり見よ われ飽きはてぬ 常ならぬ世に
光源氏 ⇒ 秋好中宮 (返歌)
【現代語訳】
煙となって昇っていった雲の上からも、こちらを振り返って見てほしいものです。私は無常の世にすっかり飽きてしまいました。
※「飽き」と「秋」をかけている。