幻(26首)まぼろし
わが宿は 花もてはやす 人もなし 何にか春の たづね来つらむ
光源氏 ⇒ 蛍兵部卿宮 (贈歌)
【現代語訳】
私の家には花を喜ぶ人もいませんのに、どうして春が訪ねて来たのでしょうか。
※兵部卿宮が新年の挨拶に訪ねてきて詠んだ和歌。「春」は兵部卿宮を喩える。
香をとめて 来つるかひなく おほかたの 花のたよりと 言ひやなすべき
蛍兵部卿宮 ⇒ 光源氏 (返歌)
【現代語訳】
梅の香を求めて来たかいもなく、ありふれた花見のついでに立ち寄ったとおっしゃるのですか。
※「香」は光源氏を喩える。「源氏様に会いにきたのに、花見のついでに来たというのですか」の意。
憂き世には 雪消えなむと 思ひつつ 思ひの外に なほぞほどふる
光源氏 (独詠歌)
【現代語訳】
つらいこの世から消えてしまいたいと思いながらも、心外にもまだ生きていることだ。
※「行き消え」と「雪消え」、「経る」と「降る」の掛詞。「消え」と「降る」は「雪」の縁語。
植ゑて見し 花のあるじも なき宿に 知らず顔にて 来ゐる鴬
光源氏 (独詠歌)
【現代語訳】
植えて眺めた花の主人もいない家に、知らない顔をしてやって来て鳴いている鴬よ。
※「花のあるじ」は紫の上を指す。毎年巡りくる季節と不変の自然に対し、生命のはかなさを嘆く歌。
今はとて 荒らしや果てむ 亡き人の 心とどめし 春の垣根を
光源氏 (独詠歌)
【現代語訳】
とうとう出家するとなると、すっかり荒れ果ててしまうのだろうか。亡き人が愛していた春の庭も。
なくなくも 帰りにしかな 仮の世は いづこもつひの 常世ならぬに
光源氏 ⇒ 明石の君 (贈歌)
【現代語訳】
泣きながら帰ってきたことです。このかりそめの世は、どこもかしこも永遠のものはないので。
※「鳴く」「泣く」、「雁」「仮」の掛詞。「常」に「床」を連想させる。「雁」と「常世」は縁語。雁は常世から渡ってくると考えられていた。常世から帰ってきた「雁」に源氏自身を喩え、「常世」に「床」をかけて、永遠にと願った紫の上との共寝も二度とないと嘆く和歌。
雁がゐし 苗代水の 絶えしより 映りし花の 影をだに見ず
明石の君 ⇒ 光源氏 (返歌)
【現代語訳】
雁がいた苗代水(なわしろみず)がなくなってからは、そこに映っていた花の影さえ見ることができません。
※「苗代水」は紫の上を、「花」源氏を喩える。紫の上が亡くなってから、源氏が意気消沈して明石の君への訪れがないことをいう。
夏衣 裁ち替へてける 今日ばかり 古き思ひも すすみやはせぬ
花散里 ⇒ 光源氏 (贈歌)
【現代語訳】
夏の衣に着替えた今日だけは、昔のことも思い出しませんか。
※「紫の上との昔の思い出を追憶しましょう」の意。
羽衣の 薄きに変はる 今日よりは 空蝉の世ぞ いとど悲しき
光源氏 ⇒ 花散里 (返歌)
【現代語訳】
羽衣のように薄い着物に着替える今日からは、はかない世の中をよりいっそう悲しく感じます。
※「薄き」「空蝉」は「羽衣」の縁語。「うつせみの」は「世」に係る枕詞。
さもこそは よるべの水に 水草ゐめ 今日のかざしよ 名さへ忘るる
中将の君 ⇒ 光源氏 (贈歌)
【現代語訳】
いかにも神に供える水も古くなって、水草が生えているでしょう。賀茂祭の葵の名前さえ忘れてしまわれるとは。
※「神に供える水に水草が生えるほど長い間、私のことをお忘れになるのは仕方ないが、花の名前さえ忘れるとは」の意。中将の君は源氏に仕える女房。この日は賀茂祭であった。
おほかたは 思ひ捨ててし 世なれども 葵はなほや 摘みをかすべき
光源氏 ⇒ 中将の君 (返歌)
【現代語訳】
だいたいのものへの執着を捨ててしまったこの世だが、この葵はやはり摘んでしまいたい。
※「葵」は中将の君を喩える。「摘み」「罪」の掛詞。「葵」「罪」「犯す」は神事に関する縁語。中将の君への戯れの和歌。
亡き人を 偲ぶる宵の 村雨に 濡れてや来つる 山ほととぎす
光源氏 (唱和歌)
【現代語訳】
亡き紫の上を偲ぶ今宵の村雨に、濡れて来たのか、山時鳥よ。
※ホトトギスの鳴き声を聞きつつ、紫の上をしのぶ和歌。
ほととぎす 君につてなむ ふるさとの 花橘は 今ぞ盛りと
夕霧 (唱和歌)
【現代語訳】
時鳥よ、紫の上に伝えておくれ。故郷の橘の花は今が盛りですよと。
つれづれと わが泣き暮らす 夏の日を かことがましき 虫の声かな
光源氏 (独詠歌)
【現代語訳】
することもなく泣き暮らしている夏の日に、私のせいで蜩(ひぐらし)も泣いているのだろうか。
夜を知る 蛍を見ても 悲しきは 時ぞともなき 思ひなりけり
光源氏 (独詠歌)
【現代語訳】
夜がおとずれたことを知って光る螢を見ても悲しいのは、昼夜かまわず燃える亡き人を慕う思いの炎であった。
※「思ひ」に「火」をかけている。
七夕の 逢ふ瀬は雲の よそに見て 別れの庭に 露ぞおきそふ
光源氏 (独詠歌)
【現代語訳】
七夕の逢瀬は雲の上の他人事として見て、私は紫の上との別れに悲しみの涙を添えることよ。
※紫の上との死別を思い、7月8日未明の、露にびっしょり濡れた庭を悲しく眺める。
君恋ふる 涙は際も なきものを 今日をば何の 果てといふらむ
中将の君 ⇒ 光源氏 (贈歌)
【現代語訳】
ご主人様を慕う涙には際限もないのに、今日の一周忌はいったい何が終わる日だと言うのでしょうか。
※「君」は亡き紫の上。「果て」は一周忌をさす。
人恋ふる わが身も末に なりゆけど 残り多かる 涙なりけり
光源氏 ⇒ 中将の君 (返歌)
【現代語訳】
人を恋い慕う私の余命は少なくなったが、残りが多いのはこの涙であることよ。
もろともに おきゐし菊の 白露も 一人袂に かかる秋かな
光源氏 (独詠歌)
【現代語訳】
一緒に起きて置いた菊のきせ綿の朝露も、今年の秋は私ひとりの袂にかかることだ。
※平安時代には9月8日に菊の花を真綿でおおって菊の香を移し、翌日の朝に露に湿った真綿で顔にあて、健康を保とうとする風習があった。「置き」「起き」は掛詞。
大空を かよふ幻 夢にだに 見えこぬ魂の 行方たづねよ
光源氏 (独詠歌)
【現代語訳】
大空を飛んでいく幻術士よ、夢の中にさえ現れない亡き人の魂の行く方を探してくれ。
宮人は 豊明と いそぐ今日 日影も知らで 暮らしつるかな
光源氏 (独詠歌)
【現代語訳】
宮人が豊明(とよのあかり)の節会に、夢中になっている今日、私は日の光も見ないで暮らしてしまったことよ。
※「日光(ひかげ)」と「日蔭の蔓」の掛詞。豊明節会では日蔭の蔓を冠の装飾として用いた。悲しみに暮れ出家を思う源氏は、華やかな儀式に入り込むことができない。
死出の山 越えにし人を 慕ふとて 跡を見つつも なほ惑ふかな
光源氏 (独詠歌)
【現代語訳】
死出の山を越えてしまった人を慕ってついて行こうとして、その筆跡を見ながらも悲しみ思い悩むことだ。
※出家前に紫の上の文を破って焼かせる源氏。紫の上の筆跡を見て湧き上がる悲しみを詠んだ和歌。
かきつめて 見るもかひなし 藻塩草 同じ雲居の 煙とをなれ
光源氏 (独詠歌)
【現代語訳】
かき集めて見ても無意味なものだ。この手紙も亡き人と同じように空に昇る煙となりなさい。
※「藻塩草」は手紙の譬喩。「煙」の縁語。
春までの 命も知らず 雪のうちに 色づく梅を 今日かざしてむ
光源氏 ⇒ 導師 (贈歌)
【現代語訳】
春まで命があるかどうか分からないから、雪の中に色づいた紅梅を今日は頭に飾ろう。
千世の春 見るべき花と 祈りおきて わが身ぞ雪と ともにふりぬる
導師 ⇒ 光源氏 (返歌)
【現代語訳】
多くの春を見るようにと、あなたの長寿をお祈りいたしましたが、私の身は降る雪とともに年ふりました。
もの思ふと 過ぐる月日も 知らぬまに 年もわが世も 今日や尽きぬる
光源氏 (独詠歌)
【現代語訳】
物思いしながら過ごし月日がたつのも知らない間に、今年も私の寿命も今日が最後になったか。
※源氏、辞世の和歌。