おぼつかな 誰れに問はまし いかにして 初めも果ても 知らぬわが身ぞ
薫 (独詠歌)
【現代語訳】
はっきりしないことだ、誰にきいたらよいだろう。どうして初めも終わりも分からない我が身の上なのだろう。
※自らの出生の秘密に悩む薫の和歌。
心ありて 風の匂はす 園の梅に まづ鴬の 訪はずやあるべき
紅梅大納言 ⇒ 匂宮 (贈歌)
【現代語訳】
思うところがあって風が匂いを吹いて送る園の梅に、真っ先に鴬が来ないということがありましょうか。
※「梅」は紅梅大納言の中の君「鴬」は匂宮を喩える。二人の結婚を望む和歌。
花の香に 誘はれぬべき 身なりせば 風のたよりを 過ぐさましやは
匂宮 ⇒ 紅梅大納言 (返歌)
【現代語訳】
花の香に誘われてよいような身であったら、風の便りをそのまま見過ごさないでしょう。
※「中の君には不釣り合いな自分なので」と縁談を拒否する和歌。匂宮は、宮の御方に興味を示す。
本つ香の 匂へる君が 袖触れば 花もえならぬ 名をや散らさむ
紅梅大納言 ⇒ 匂宮 (贈歌)
【現代語訳】
もともとよい香りが漂っていらっしゃるあなたが袖を振ると、花も素晴らしい評判を得るでしょう。
※「花」は中の君を指す。
花の香を 匂はす宿に 訪めゆかば 色にめづとや 人の咎めむ
匂宮 ⇒ 紅梅大納言 (返歌)
【現代語訳】
花の香りを匂わしていらっしゃる宿に訪ねていったら、色好みな男だと人が批判するのではないでしょうか。
※中の君との縁談に気がのらず、ごまかそうとしている。
折りて見ば いとど匂ひも まさるやと すこし色めけ 梅の初花
宰相の君 ⇒ 薫 (贈歌)
【現代語訳】
折ってみたらよりいっそう良い香りがするのでは、もう少し色づいてみてはどうですか、梅の初花は。※「折りて見る」は男女の関係を持つことを暗示。「梅の初花」は薫。戯れの歌。宰相の君は女房。薫が堅物なので、冗談を言っている。
よそにては もぎ木なりとや 定むらむ 下に匂へる 梅の初花
薫 ⇒ 宰相の君 (返歌)
【現代語訳】
傍目には枯木だと決めつけているのでしょうが、心の中は美しく咲いている梅の初花です。
※内面の魅力を主張する和歌。
人はみな 花に心を 移すらむ 一人ぞ惑ふ 春の夜の闇
蔵人の少将 ⇒ 女房 (贈歌)
【現代語訳】
人はみな花に心を寄せているのでしょうが、私は一人で迷っています、春の夜の闇の中で。
※蔵人の少将は夕霧の息子。玉鬘の娘に求婚している。美しい薫のほうが注目されているのを嘆く和歌。「花」は薫を指す。
をりからや あはれも知らむ 梅の花 ただ香ばかりに 移りしもせじ
女房 ⇒ 蔵人の少将 (返歌)
【現代語訳】
時と場合によって心を寄せるものです。ただ梅の花の香りが漂っているだけで、こうも心がひかれるのではありませんよ。
※玉鬘邸の女房が、蔵人の少将を慰める。
竹河の 橋うちいでし 一節に 深き心の 底は知りきや
薫 ⇒ 玉鬘 (贈歌)
【現代語訳】
竹河を歌った、あの歌の文句の一端から、私の深い心を知っていただけましたか。
※「橋」と「端」の掛詞。「竹」と「節」、「河」と「深き」と「底」は縁語。直前に薫は催馬楽「竹河」を
歌っている。「竹河の 橋のつめなるや 橋のつめなるや 花園に はれ 花園に 我をば放てや 我をば放てや少女伴へて」玉鬘の娘(大君)への気持ちをアピールしている和歌である。
竹河に 夜を更かさじと いそぎしも いかなる節を 思ひおかまし
藤侍従 ⇒ 薫(返歌)
【現代語訳】
竹河を歌って夜遅くならないようにと、急いでお帰りになったのに、どんな深い心があると思えばよいのでしょうか。
※「夜」と「よ(竹の節と節の間)」の掛詞。「竹」と「節」は縁語。
桜ゆゑ 風に心の 騒ぐかな 思ひぐまなき 花と見る見る
大君(唱和歌)
【現代語訳】
桜のせいで、風が吹くたびに心が騒ぎます。私を思ってくれない花だと思いながら。
※大君は玉鬘の娘。桜が散るのを惜しむ和歌。
咲くと見て かつは散りぬる 花なれば 負くるを深き 恨みともせず
宰相の君(唱和歌)
【現代語訳】
咲いたと見えてすぐ散ってしまう花なので、負けて木を取られたことを深く恨みません。
※大君と中君は桜の所有権を巡って碁を打っていた。中君が勝利した。宰相の君は大君の方についていた女房。
風に散る ことは世の常 枝ながら 移ろふ花を ただにしも見じ
中君(唱和歌)
【現代語訳】
桜が風に散ることは世の常ですが、枝ごとこちらの木になった花を平常心で見ていられないでしょう。
心ありて 池のみぎはに 落つる花 あわとなりても わが方に寄れ
大輔の君(唱和歌)
【現代語訳】
こちらに味方して池の水際に散る花よ、水の泡となっても私の方に流れ寄っておくれ。
※大輔の君は中君側の女房。
大空の 風に散れども 桜花 おのがものとぞ かきつめて見る
童女(唱和歌)
【現代語訳】
大空の風に散ってしまったけれど、桜の花を私のものと思ってかき集めてみました。
※中君側の童女
桜花 匂ひあまたに 散らさじと おほふばかりの 袖はありやは
なれき<童女>(唱和歌)
【現代語訳】
桜の花の美しさを方々に散らすまいとしても、空を覆うほど大きな袖がございましょうか。
※なれきは大君側の童女
つれなくて 過ぐる月日を かぞへつつ もの恨めしき 暮の春かな
薫 ⇒ 藤侍従 (贈歌)
【現代語訳】
冷たい態度のままで過ぎてゆく年月を数えていますと、恨めしくも春の終わりになりました。
いでやなぞ 数ならぬ身に かなはぬは 人に負けじの 心なりけり
蔵人の少将 ⇒ 中将の御許 (贈歌)
【現代語訳】
何ということか、物の数にも入らない身なのに、負けじ魂も成就させることができないのだ。
※中将の御許は玉鬘邸の女房。蔵人の少将が思いを寄せている大君は、冷泉院への参院が決まった。
わりなしや 強きによらむ 勝ち負けを 心一つに いかがまかする
中将の御許 ⇒ 蔵人の少将 (返歌)
【現代語訳】
無理なことです、強い方が勝つ勝負を、あなたのお心一つでどうすることもできません。
※「強き」「勝ち負け」は碁の縁語。「強き」は冷泉院を指している。
あはれとて 手を許せかし 生き死にを 君にまかする わが身とならば
蔵人の少将 ⇒ 中将の御許 (贈歌)
【現代語訳】
気の毒だと思って、大君を私にいただけませんか。この先の生死はあなた次第の我が身と思うのならば。
※「手をゆるす」は、碁で相手に何目か置き意志を許すこと。「生き死に」は碁の縁語である。
花を見て 春は暮らしつ 今日よりや しげき嘆きの 下に惑はむ
蔵人の少将 ⇒ 玉鬘 (贈歌)
【現代語訳】
花を見て春を過ごしました。今日からは茂った木の下で悲しみに暮れるでしょう。
※「嘆き」に「木」を響かせる。「木」と「繁き」は縁語。
今日ぞ知る 空を眺むる けしきにて 花に心を 移しけりとも
玉鬘 ⇒ 蔵人の少将 (返歌)
【現代語訳】
今日こそ分かりました、空を眺めているふりをして、花に心を奪われていらっしゃったのだと。
あはれてふ 常ならぬ世の 一言も いかなる人に かくるものぞは
大君 ⇒ 蔵人の少将 (贈歌)
【現代語訳】
「可哀想だ」という一言も、この無常の世において、いったい誰に言葉をかけたらよろしいのでしょうか。
※蔵人の少将の手紙に「あはれと思ふ、とばかりだに、一言のたまはせば、それにかけとどめられて、しばしもながらへやせむ」と書いてあったのを踏まえた和歌。
生ける世の 死には心に まかせねば 聞かでややまむ 君が一言
蔵人の少将 ⇒ 大君 (返歌)
【現代語訳】
この世の生死は思い通りにならないので、聞かずに終わってしまうのでしょうか。あなたの「可哀想だ」という一言を。
手にかくる ものにしあらば 藤の花 松よりまさる 色を見ましや
薫 ⇒ 藤侍従 (贈歌)
【現代語訳】
手に取ることができるものなら、藤の花の松の緑より美しい色をむなしく眺めているでしょうか。
※大君への失恋を嘆く和歌。「藤の花」は大君の比喩。「力の及ぶ相手であれば大君を他人のものにしなかったのに」の意。
紫の 色はかよへど 藤の花 心にえこそ かからざりけれ
藤侍従 ⇒ 薫 (返歌)
【現代語訳】
紫の色は同じですが、藤の花は私の思い通りにできなかったのです。
※「色はかよへど」は藤侍従と大君が姉弟であることを言う。
竹河の その夜のことは 思ひ出づや しのぶばかりの 節はなけれど
女房 ⇒ 薫 (贈歌)
【現代語訳】
竹河を歌ったあの夜のことは覚えていますか。思い出すほどのことではございませんが。
※「夜」と「世」の掛詞。「竹」と「よ(節と節の間)」と「節」は縁語。
流れての 頼めむなしき 竹河に 世は憂きものと 思ひ知りにき薫
⇒ 女房 (返歌)
【現代語訳】
これまでの期待も空しいこととわかり、世の中は辛いものだとよく思い知りました。
※大君への失恋を引きずる薫の和歌。
うち捨てて つがひ去りにし 水鳥の 仮のこの世に たちおくれけむ
八の宮 (唱和歌)
【現代語訳】
つがいでいた水鳥の雁は、はかないこの世に子を残して見捨てて行ったのだろうか。
※母親に先立たれた娘たちの不幸を詠む和歌。「雁」と「仮」、「この世」の「こ」には「雁の子」の「子」をかけている。
いかでかく 巣立ちけるぞと 思ふにも 憂き水鳥の 契りをぞ知る
大君 (唱和歌)
【現代語訳】
どうしてこんなに大きくなったのかと思うにつけても、水鳥のような辛い宿命が思い知られます。
※「憂き水鳥」に「憂き身」を詠みこんでいる。
泣く泣くも 羽うち着する 君なくは われぞ巣守に なりは果てまし
中君 (唱和歌)
【現代語訳】
泣きながらも羽を着せかけてくださるお父様が、いらっしゃらなかったら、私は大きくなることはできなかったでしょうに。
見し人も 宿も煙に なりにしを 何とてわが身 消え残りけむ
八の宮 (唱和歌)
【現代語訳】
妻も京の邸も煙となってしまったが、どうして我が身だけがこの世に消えずに残っているのだろ
※「見し人」は亡くなった北の方。「宿」は火災で燃えた京の邸。八の宮と娘は宇治へ移る。
世を厭ふ 心は山に かよへども 八重立つ雲を 君や隔つる
冷泉院 ⇒ 八の宮 (贈歌)
【現代語訳】
世の中を避ける気持ちは宇治山に通じておりますが、あなたが何重もの雲で山を隔てていらっしゃるのでしょうか。
あと絶えて 心澄むとは なけれども 世を宇治山に 宿をこそ借れ
八の宮 ⇒ 冷泉院 (返歌)
【現代語訳】
世を捨てて心が澄みきっているわけではありませんが、世を辛いものと思い宇治山で暮らしております。
※「住む」と「澄む」の掛詞。
山おろしに 耐へぬ木の葉の 露よりも あやなくもろき わが涙かな
薫 (独詠歌)
【現代語訳】
山おろしの風に耐えられない木の葉の露よりも、妙にもろく流れる私の涙よ。
あさぼらけ 家路も見えず 尋ね来し 槙の尾山は 霧こめてけり
薫 ⇒ 大君 (贈歌)
【現代語訳】
夜が明けて行きますが帰る家路も見えません。訪ねて来た槙の尾山は霧が立ち込めていますので。
※「帰りたくありません」という挨拶の和歌。「槙の尾山」は宇治川右岸にある山。
雲のゐる 峰のかけ路を 秋霧の いとど隔つる ころにもあるかな
大君 ⇒ 薫 (返歌)
【現代語訳】
雲がかかっている峰の険しい山道には秋霧が立ち込め、父上との間をますます隔てている今日この頃です。
※父八の宮は山寺にこもっている。
橋姫の 心を汲みて 高瀬さす 棹のしづくに 袖ぞ濡れぬる
薫 ⇒ 大君 (贈歌)
【現代語訳】
姫君たちのお寂しい心をお察ししまして、浅瀬を漕ぐ舟の棹の雫で袖が濡れるように、涙で袖を濡らして泣いています。
※「袖を濡らす」は涙を流していることを暗示する。
さしかへる 宇治の河長 朝夕の しづくや袖を 朽たし果つらむ
大君 ⇒ 薫 (返歌)
【現代語訳】
棹さして行き来する宇治川の渡し守は、朝夕の雫に濡れて袖を朽ちさせていることでしょう。
目の前に この世を背く 君よりも よそに別るる 魂ぞ悲しき
柏木 ⇒ 女三の宮 (贈歌)
【現代語訳】
目の前で出家されるあなたよりも、お会いできずに死んでいく私の魂のほうが悲しいのです。
※生前、柏木が女三の宮に宛てた文に書かれていた和歌。
命あらば それとも見まし 人知れぬ 岩根にとめし 松の生ひ末
柏木 ⇒ 女三の宮 (贈歌)
【現代語訳】
生きていられたら、我が子だと思って見ることでしょう。誰も知らない岩根に残した松が成長していく姿を。
※薫を「岩根の松」に喩える。
匂宮(1首)におう(の)みや
紅梅(4首)こうばい
竹河(24首)たけかわ
橋姫(13首)はしひめ