椎本(21首)しいがもと

山風に 霞吹きとく 声はあれど 隔てて見ゆる 遠方の白波
八の宮 ⇒ 薫 (贈歌)
【現代語訳】
山風に乗って霞を吹き散らす笛の音は聞こえますが、遠くに隔たって見えるそちらの白波です。
※前日に聞こえてきた笛の音を薫のものと思って詠んだ和歌。「遠方」は宇治に存在した地名。「をち」(遠方)に掛ける。薫の来訪をうながしている。

遠方こちの 汀に波は 隔つとも なほ吹きかよへ 宇治の川風
匂宮 ⇒ 八の宮 (返歌)
【現代語訳】
そちらとこちらの水際に波は隔てていても、やはり吹き通いなさい宇治の川風よ。
※宇治の姉妹に興味を持っている匂宮は、薫の代わりに八の宮に返歌をした。

山桜 匂ふあたりに 尋ね来て 同じかざしを 折りてけるかな
匂宮 ⇒ 宇治の姉妹 (贈歌)
【現代語訳】
山桜が美しく咲いているところを訪ねてきて、同じこの地の桜を插頭しに手折ったことよ。私たちは血縁同士なのです。
※匂宮は美しい桜の枝を折って、和歌とともに姉妹に贈った。「同じかざし」は匂宮と姉妹が同じ皇族の血をひいていることを言う。

かざし折る 花のたよりに 山賤の 垣根を過ぎぬ 春の旅人
中君 ⇒ 匂宮 (返歌)
【現代語訳】
插頭の花を折るついでに、山里の粗末な家は、通り過ぎてしまう春の旅人なのでしょうね。

われなくて 草の庵は 荒れぬとも このひとことは かれじとぞ思ふ
八の宮 ⇒ 薫 (贈歌)
【現代語訳】
私が亡くなって邸が荒れてしまっても、この一言の約束だけは守っていただきたいと思っております。
※「一言」とは、直前に「私が亡くなった後、姫君たちを見捨てないでください」と言ったことを指す。
「一言」と「一琴」、「枯れ」と「離れ」は掛詞。「草」と「枯れ」は縁語。

いかならむ 世にかかれせむ 長き世の 契りむすべる 草の庵は
薫 ⇒ 八の宮 (返歌)
【現代語訳】
どのような世の中になっても、こちらを訪れないことはありません。末長く約束を結びましたので。
※「草」と「結ぶ」は縁語。

牡鹿鳴く 秋の山里 いかならむ 小萩が露の かかる夕暮
匂宮 ⇒ 中君 (贈歌)
【現代語訳】
牡鹿が鳴く秋の山里ではいかがお過ごしでしょうか。小萩に露のかかるように、あなたも泣いている夕暮でしょう。
※「小萩」は中君を喩える。「露」は涙を暗示。「かかる」は「露が懸かる」と「かかる夕暮」をかけている。
八の宮が亡くなり、弔問の和歌。

涙のみ 霧りふたがれる 山里は 籬に鹿ぞ 諸声に鳴く
大君 ⇒ 匂宮 (返歌)
【現代語訳】
涙ばかりが霧のように塞がっている山里では、垣根に鹿が声をあわせて鳴いております。
※大君が妹中君の代わりに詠んだ和歌。「鹿」は自分たちのことを指す。「鳴く」には「泣く」をかける。

朝霧に 友まどはせる 鹿の音を おほかたにやは あはれとも聞く
匂宮 ⇒ 中君 (返歌)
【現代語訳】
朝霧のなかで友を見失った鹿の声を、ありふれたものとして、しみじみ悲しく聞いていられますでしょうか。

色変はる 浅茅を見ても 墨染に やつるる袖を 思ひこそやれ
薫 ⇒ 大君 (贈歌)
【現代語訳】
色の変わった浅茅を見るにつけても、墨染の喪服を着ていらっしゃるお姿をお察しいたします。

色変はる 袖をば露の 宿りにて わが身ぞさらに 置き所なき
大君 ⇒ 薫 (返歌)
【現代語訳】
喪服に色の変わった袖に露は置いていますが、我が身はどこにも置き所がありません。
※「露」「置く」は縁語。

秋霧の 晴れぬ雲居に いとどしく この世をかりと 言ひ知らすらむ
薫 (独詠歌)
【現代語訳】
秋霧の晴れない雲の上ではよりいっそう、の世を仮の世だと雁が鳴いて知らせるのだろう。
※空に雁が飛んでいくのを見て詠んだ和歌。「雁」と「仮り」の掛詞。

君なくて 岩のかけ道 絶えしより 松の雪をも なにとかは見る
大君 ⇒ 中君 (贈歌)
【現代語訳】
父上がお亡くなりになって、険しい岩の山道も絶えてしまいました。あなたは松に積もった雪をどう御覧になりますか。
※「岩のかけ道」は姉妹の住む山荘と山寺とを結ぶ道のこと。

 

奥山の 松葉に積もる 雪とだに 消えにし人を 思はましかば

中君 ⇒ 大君 (返歌)
【現代語訳】
奥山の松葉に積もる雪とでも、亡くなった父上を思うことができたらいいのに。
※「雪」「消え」縁語。「雪は再び降り積もることができるから、を雪と思えたらいいけれど、人間は雪とは違うから亡くなった人とは二度と会えない」の意。

雪深き 山のかけはし 君ならで またふみかよふ 跡を見ぬかな
大君 ⇒ 薫 (贈歌)
【現代語訳】
雪深い山にかかった橋は、あなた以外に誰も踏み分けて訪れる人はございません。
※薫が「匂宮の文には誰が返事をしているか?」と聞いたので、「あなた以外に文を送ったことはありません」と言い返している。

つららとぢ 駒ふみしだく 山川を しるべしがてら まづや渡らむ
薫 ⇒ 大君 (返歌)
【現代語訳】
氷に閉ざされて馬が踏み砕いて歩く山川を、匂宮に案内するついでに、まずは私が渡りましょうか。
※「匂宮より先に私があなたと男女の契りを結びたい」の意。

立ち寄らむ 蔭と頼みし 椎が本 空しき床に なりにけるかな
薫 (独詠歌)
【現代語訳】
立ち寄るべき蔭と信頼していた椎の木の根元は、空しい床になってしまったな。
※八の宮が生前使っていた部屋を見て詠んだ和歌。「椎」は八の宮の比喩。

君が折る 峰の蕨と 見ましかば 知られやせまし 春のしるしも
大君 (唱和歌)
【現代語訳】
父上が摘んでくださった峰の蕨でしたら、春が来た印だと思ったでしょうけれど。
※阿闍梨から贈られた山菜を見て詠んだ和歌。

雪深き 汀の小芹 誰がために 摘みかはやさむ 親なしにして
中君 (唱和歌)
【現代語訳】
雪深い水際の小芹も誰のために摘んで喜びましょうか。私たちは親がいませんので。
※「小芹」の「小」に「子」を響かす。「親」と「子」は縁語。

つてに見し 宿の桜を この春は 霞隔てず 折りてかざさむ
匂宮 ⇒ 中君 (贈歌)
【現代語訳】
あの時は事のついでに眺めたあなたの家の桜を、今年の春は霞を隔てず手で折ってかざしたいものです。
※「花を折る」という表現は男女の関係になることを暗示している。心のままに詠んだ積極的な和歌。

いづことか 尋ねて折らむ 墨染に 霞みこめたる 宿の桜を
中君 ⇒ 匂宮 (返歌)
【現代語訳】
どこと思って花を手折るのでしょうか。墨染に霞んでいる私の家の桜を。
※宇治の姉妹は父親の服喪中であるので、「墨染に」と詠んでいる。

総角(31首)あげまき

あげまきに 長き契りを 結びこめ 同じ所に 縒りも会はなむ
薫 ⇒ 大君 (贈歌)
【現代語訳】
総角に末長い約束を結びこめて、あなたと一緒になりたいものです。
※「総角」は催馬楽の曲名。<総角>「総角や トウトウ 尋ばかりやトウトウ 離(さか)りて寝たれども
転(まろ)びあひけり トウトウか寄りあひけり トウトウ」
<意味>男女の子供が、最初は少し離れて寝ていたけど、転がって最後は仲睦まじくなった。
ぬきもあへず もろき涙の 玉の緒に 長き契りを いかが結ばむ
大君 ⇒ 薫 (返歌)
【現代語訳】
貫いて止めることも出来ない。もろい涙の玉の緒に末長い約束をどうして結ぶことができるでしょうか。
※「もろき涙の玉の緒」は、自らの余命が短いことを言う。

山里の あはれ知らるる 声々に とりあつめたる 朝ぼらけかな
薫 ⇒ 大君 (贈歌)
【現代語訳】
山里の情趣が感じられます鳥の声に、まざまな思でいっぱいになる朝け方ですね。
※「とりあつめたる」に「鳥」をかける。薫は大君の寝所に入ったが、何事もなく朝を迎えた。

鳥の音も 聞こえぬ山と 思ひしを 世の憂きことは 訪ね来にけり
大君 ⇒ 薫 (返歌)
【現代語訳】
鳥の声も聞こえない山里と思っていましたが、人の世の辛いことはやって来るものなのですね。

おなじ枝を 分きて染めける 山姫に いづれか深き 色と問はばや
薫 ⇒ 大君 (贈歌)
【現代語訳】
同じ枝を分けて染めた山姫を、どちらが深い色ですかと尋ねましょうか。
※反語表現。「大君と中君どちらへの気持ちが深いと問うまでもなく、自分の気持ちはもともと大君にあります」という意味の和歌。

山姫の 染むる心は わかねども 移ろふ方や 深きなるらむ
大君 ⇒ 薫 (返歌)
【現代語訳】
山姫が色を染め分ける理由はわかりませんが、あなたは色変わりして妹の方に深い思いを寄せているのでしょう
※「中君のほうに心を寄せているのでしょう」の意。大君は、中君と薫を結婚させたがっている。

 女郎花 咲ける大野を ふせぎつつ 心せばくや しめを結ふらむ
匂宮 ⇒ 薫 (贈歌)
【現代語訳】
女郎花が咲いている大野に人が入らないように、どうして心狭く縄を張っていらしゃるのか。
※「女郎花」は宇治の姉妹を指す。匂宮を宇治に連れていきたがらない薫へのたわむれの和歌。

霧深き 朝の原の 女郎花 心を寄せて 見る人ぞ見る
薫 ⇒ 匂宮 (返歌)
【現代語訳】
霧が深く立ち込める朝の原の女郎花は、深い心を寄せている人だけが見るものです。
※「朝の原」は大和国の歌枕。

しるべせし 我やかへりて 惑ふべき 心もゆかぬ 明けぐれの道
薫 ⇒ 大君 (贈歌)
【現代語訳】
道案内をした私のほうが迷ってしまいそうです。満足できない気持ちで帰る明け方の薄暗い道を
※薫は大君の寝所に再び近づくが、思いは遂げられずに朝を迎える。

かたがたに くらす心を 思ひやれ 人やりならぬ 道に惑はば
大君 ⇒ 薫 (返歌)
【現代語訳】
妹のことと自分のことをそれぞれに、思い悩む私の気持ちを思いやってください。あなた自身のせいで道にお迷いならば。

世の常に 思ひやすらむ 露深き 道の笹原 分けて来つるも
匂宮 ⇒ 中君 (贈歌)
【現代語訳】
世の中でありふれたことと、思っていらっしゃるのでしょうか。露が深く立ち込めた道の笹原を分けて来たのですが。
※匂宮は中君と契った。翌朝の後朝の文に書かれていた和歌。

小夜衣 着て馴れきとは 言はずとも かことばかりは かけずしもあらじ
薫 ⇒ 大君 (贈歌)
【現代語訳】
小夜衣を着て親密になったとは言いませんが、いいがかりくらいはつけないでもありませんよ。
※「寝所に近づき、大君の顔まで見たのだから、冷たくあしらってもだめですよ」と脅す和歌。

隔てなき 心ばかりは 通ふとも 馴れし袖とは かけじとぞ思ふ
大君 ⇒ 薫 (返歌)
【現代語訳】
隔てるものはなく心だけは通い合うでしょうが、慣れ親しんだ仲とはおっしゃらないでください。

中絶えむ ものならなくに 橋姫の 片敷く袖や 夜半に濡らさむ
匂宮 ⇒ 中君 (贈歌)
【現代語訳】
関係が切れようとするものではないのに、あなたが独り敷く袖は夜中に涙で濡れることだろう。
※匂宮は母の明石の中宮に外出を制限されている。

絶えせじの わが頼みにや 宇治橋の 遥けきなかを 待ちわたるべき
中君 ⇒ 匂宮 (返歌)
【現代語訳】
あなたとの関係が切れないようにと信じて、古い宇治橋のように、末永い仲をずっとお待ちしております。

いつぞやも 花の盛りに 一目見し 木のもとさへや 秋は寂しき
宰相の中将 (唱和歌)
【現代語訳】
いつのことだったか、花の盛りに一目見た木の根元までが、秋はお寂しい感じになっているでしょう。
※「木のもと」に「子(姫君たち)」を響かせる。宰相の中将は夕霧の息子。以下5首、宇治での紅葉狩りにて
詠まれた和歌。

桜こそ 思ひ知らすれ 咲き匂ふ 花も紅葉も 常ならぬ世を
薫 (唱和歌)
【現代語訳】
桜こそは知っているでしょう。美しく咲く花も紅葉も、みなこの世は常ならぬものだと。

いづこより 秋は行きけむ 山里の 紅葉の蔭は 過ぎ憂きものを
衛門督 (唱和歌)
【現代語訳】
どこから秋は去って行くのでしょう。山里の紅葉の蔭は立ち去るのが辛いのに。
※衛門督は夕霧の息子。

見し人も なき山里の 岩垣に 心長くも 這へる葛かな
宮の大夫 (唱和歌)
【現代語訳】
お会いしたことのある方も亡くなってしまい、山里の岩垣に心が変わることなく這いかかっている蔦よ。
※「見し人」は八の宮を指す。

秋はてて 寂しさまさる 木のもとを 吹きな過ぐしそ 峰の松風
匂宮 (唱和歌)
【現代語訳】
秋が終わって寂しさがつのる木のもとを、あまり強く吹かないでください、峰の松風よ。
※「木」に「子」をかける。

若草の ね見むものとは 思はねど むすぼほれたる 心地こそすれ
匂宮 ⇒ 女一の宮 (贈歌)
【現代語訳】
若草のように美しいあなたと、一緒に寝ようとは思いませんが、気分がふさぎこんでおります。
※女一の宮は匂宮にとって同母姉。美しい姉に恋心を抱いて贈った和歌。

眺むるは 同じ雲居を いかなれば おぼつかなさを 添ふる時雨ぞ
匂宮 ⇒ 中君 (贈歌)
【現代語訳】
眺めているのは同じ空なのに、どうしてこんなに会いたい気持ちをつのらせる時雨なのか。
※匂宮は母・明石の中宮に禁じられて宇治へ通えない。

霰降る 深山の里は 朝夕に 眺むる空も かきくらしつつ
中君 ⇒ 匂宮 (返歌)
【現代語訳】
霰が降る深山の里は朝も夕も、眺める空が暗く曇っています。

霜さゆる 汀の千鳥 うちわびて 鳴く音悲しき 朝ぼらけかな
薫 ⇒ 中君 (贈歌)
【現代語訳】
霜が冷たく凍っている水際の千鳥が耐えられずに、寂しく鳴く声が悲しい明け方ですね。

暁の 霜うち払ひ 鳴く千鳥 もの思ふ人の 心をや知る
中君 ⇒ 薫 (返歌)
【現代語訳】
明け方の霜を払って鳴く千鳥も、悲しんでいる人の気持ちが分かるのでしょうか。

かき曇り 日かげも見えぬ 奥山に 心をくらす ころにもあるかな
薫 (独詠歌)
【現代語訳】
曇って日の光も見えない山奥で、心を暗くなる今日このごろだなあ。
※病気になり弱っていく大君を看病しながら、絶望的な気持ちを詠んだ和歌。

くれなゐに 落つる涙も かひなきは 形見の色を 染めぬなりけり
薫 (独詠歌)
【現代語訳】
紅色の衣に落ちる涙が何の役にも立たないと思うのは、大君の形見の黒色に衣の色を染めないからだ。
※大君が亡くなったが、大君と薫は夫婦ではないので、喪服を着られないことを嘆いた和歌。この時は薄紅の直衣を着ていた。

おくれじと 空ゆく月を 慕ふかな つひに住むべき この世ならねば
薫 (独詠歌)
【現代語訳】
大君に後れまいと、空を流れていく月が恋しい。いつまでも住んでいられないこの世なので。
※「澄む」に「住む」を掛ける。「澄む」は「月」の縁語。亡くなった大君を慕う和歌。

恋ひわびて 死ぬる薬の ゆかしきに 雪の山にや 跡を消なまし
薫 (独詠歌)
【現代語訳】
恋に思い悩んで死ぬ薬が欲しいがために、雪の山に入って行って跡をくらましてしまいたい。
※大君の死を悲しむ絶望の和歌。

来し方を 思ひ出づるも はかなきを 行く末かけて なに頼むらむ
中君 ⇒ 匂宮 (贈歌)
【現代語訳】
過ぎ去ったことを思い出しても頼りないのに、将来のことをどうして信用できましょうか。
※匂宮は宇治を訪問し、中君に愛を誓うが、中君は匂宮の口慣れている様子に嫌気を感じた。

行く末を 短きものと 思ひなば 目の前にだに 背かざらなむ
匂宮 ⇒ 中君(返歌)
【現代語訳】
将来が短いものと思うなら、せめて私の前だけでも背かないでください。